今日はみなさんのコメントにお答えしています。

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Caravaggio, Roma, Chiesa dei francesi

From:村中大祐

今日は結構たくさん皆さまから頂戴した
コメントにお答えいたします。
以下のコメントを頂いた皆様、本当にありがとうございました。
感謝をこめて。
Lots of Love for you.
Daisuke Muranaka

指揮者の交渉術⑳「時間を掌握する」へのコメントから (江本さまより)

村中さんおはようございます😃
今朝も梅雨空、北関東は日照不足注意報が出されました。晴れたのは梅雨が明けてトータル3日間、
今朝は肌寒い位です。こんな夏は初めてです。
この温暖化はもう誰にも止められないのでしょうか。

お話し有難うございました。
定刻に発車するスイスは日本に似ているのでしょうか?
私は主人の転勤で主に関東以北ですがジプシーのように14回各地を回りました。社宅にはいろんな県の人達がいます。
日本と一区切りには出来ない、その土地その土地で文化や人々の違いを感じました。
太平側と日本海側、関西と関東、沖縄と北海道、そして内陸、同じ事でもやり方が違ったり
外国を思うと村中さんの大変さとそれを乗り越えて行く素晴らしさ、知恵、工夫、当たって砕けろ
すごいですね。楽しみに読ませて頂きます。ご自愛ください。

江本さま。コメントをありがとうございます。

14回の転勤とは恐れ入りました。
お話を伺いながら、すぐに思いだすのは司馬遼太郎の言葉です。
司馬さんが関所について語りながら
各地の日本の文化の黎明について述べられる個所で
江戸時代に存在した関所の作用によって
地方文化が爛熟し、また個性的となった、とあります。
明治以降はその遺産で食っていると。
その言葉を思いだし、苦笑いですが
地方ごとの言葉の違いも習慣の違いも
やはり大切にしたい要素だと思いますね。
それを14回乗り越えるのは
スゴイ経験知だと思います!

ところで...

「スイスは日本に似ているのでしょうか?」とのことですが...

ああ、そう受け取られてもしょうがないかな、と思いまして
自分のいい加減さに少しばかり反省いたしました。
とはいうものの、これもまた私の話のスタイルにつき
どうかお許しを。

さて、時間のお話でしたから、そのextreme極端な一例として
このスイスの話を出したまでのことですね。

きっとお分かりいただけるはずですが、時間もそれを扱う人間次第。
そう考えているので、沢山の荷物を抱えた旅行者が
目の前で荷物を入れようとするときに
日本なら多少の誤差を受け入れて
荷物を入れるまで待つこともあるのではないでしょうか。

最近はあまり電車に乗らないため分かりませんが
私の記憶ではかつての私たちの日本は
そういった「人間らしさ」ヒューマニズムを
何よりも尊ぶ国であったように思います。

それがもし、仮に「時刻優先」となり
会社の不利益を心配して
目の前のお客様にきちんとした対応ができないなら
関西で起きた福知山線の事故のようなことも起こるのでは?
と、思ったりします。

時間とは「何を選択するか」によって変わり
人の選択次第では伸び縮みするような気がするのです。
以上村中よりコメントでした。

指揮者の交渉術⑱「Ieri Oggi Domani 昨日・今日・明日」へのコメントから (コンシンさまより)

*ヒロシマナガサキ、フクシマの当事者でありながら、、、
閉鎖系惑星の狭隘な隙間を、百万年の核汚染を生み出し拡散の施設と兵器の根絶を宣誓する、世界の国々の良識と悲願に背き、スルーしてしまう、なんという国家、、、!!!

コンシンさま、こんにちは!

私は出来る限り政治的・社会的なコメントを避けておりまして。
でもこう言った根源的なお話には
やはりきちんとお話すべきだろうと思いまして
コメントさせて頂きます。

始めにお断りしておきますが、
私は政治について
ある意味ニュートラルな立場です。

イタリアでは左翼が非常に強く
劇場に入るとだいたいどこでも
それとなく「政治信条」を探られますが
わたしは「日本人である」と言って誤魔化します。

誤魔化しますが、本当なのです。
日本人として日本の立場を自分の信条とする。
それが国際社会における
一人旅の在り方なのです。
個人が日本の立場を「代表する」ことになるからです。
それだけ責任重大です。

私はできることなら自分の手で
より良き世の中をクリエイトしたい
そう思うこともしばしばです。

でも人間は人に任せなければ
生きていけません。
つまり政治や社会については
みなさんにアウトソーシングしたつもりで
この20年を生きてきました。

私の信条は
音楽で世の中を変える
ではありません。

私の信条は
音楽によって世の中が変わる
です。

そこに極めて本質的な価値観が内包されています。

自分が輝くことによってしか
リーダーシップを発揮してはいけない。

それが信条です。
無理やりオーケストラを動かしても
人は気持ちよくない。

弁証法的な考え方は「拮抗」することに立った理論ですが
感化、影響、などと言った言葉に魅力を感じます。
それが21世紀的なリーダーシップの在り方のような
そんな気がするのです。
コメントをありがとうございます。
今後とも宜しくお願いいたします。
村中より

指揮者の交渉術⑰「島国ど根性」へのコメントから (九子さまより)

*出会いの総決算が今!
ヨーロッパで仕事をするということは、およそ日本にいたら知る由も無いようなすごい貴族や、お金持ちや、いろいろな方々にお会いする機会があるということなのですね。もちらん出会いを支える語学力は大事!だけれど、その次はその時その時で何を選ばれるかですよね。

アラブの王様に気に入られてお金持ちの村中大祐も充分魅力的だと思いますが(^^;;、そういう出会いの中で村中さんが選んで来たものが残り、今に至っていると考えると、これからの村中大祐の音楽、ますます魅力的ですね(^-^)

九子さん、こんにちは!

ヨーロッパでお会いする方にはいろんな方がおられます。
わたしはローマで哲学者みたいなBarbiere、つまり
床屋さんを知っています。
面白いんですよ。Aldoアルドって言うんですけどね。
ずーっとおしゃべりしてるんです。
でもめちゃくちゃ上手いし、ハンサムです。
だから最初ロンドンからわざわざローマまで
カットに行ったりしたこともあるくらい。

私は日本人だけれど
変なヒトなので、彼らが結構面白がってくれます。
アルドからは色々教わりましたが
行く度に「うちに来い、美味いものを食わせてやる」って言うんです。それで行ってみるとPatriziaパトリチアという奥さんは、洗濯やさんなんですが、美人の奥さんには包丁を握らせず、自分で料理をする。そりゃあ、アマトリチャーナなんて(ローマ特有のパスタでパンチェッタつまり豚のお腹の部位のベーコンとトマトソースがベースで、Bucatiniブカティーニという中心に穴の開いた細麺パスタ)などを料理してくれて、その後に出てくるのは「ゲテモノ」なんですよ!
これは牛の脳みそだ!とか言って、新鮮なものを調理して出したり。

だから色々あるわけですね。
それもまた楽し。
でも例えば映画スターなんてのもいまして。
ローマでは裏千家のお茶室に
いろんな方をお招きできるので
一度はSilvana Panpaniniシルヴァーナ・パンパニーニという
戦後の映画スターをお招きしました!
この話はまた今後。
まあ、そんな感じで面白い人が結構いるんですよ。
でもみんな、同じ目線。
そこが世界の楽しいところ。
もうぶっ飛んでますよ!
音楽って同じ目線なんですね。
そこが大事かな。
そう思います。
九子さん、またコメントお待ちしています。
村中より

指揮者の交渉術⑮「点と線」についてのコメントから(ディヤングルタさまより)

*カデンツ
同業者です。
単純に、日本の音大では音楽を【フレーズを前に進めて、和声の終止形(ドミナントで緊張してトニカで解決する。)で終わらせる。】という基本を教えていないから、という事に尽きると思います。
邦楽にT-S-D-Tという和声連結はありませんし、

◆音楽、芸術においての概要 - 脳を刺激_伝田式聴覚トレーニング
https://www.denchoh.com/概要とトレーニングの方法/音楽-再現芸術/
ページ下部
『聴覚訓練の検証:オーケストラ編』
に書いたように、日本語の平坦なテンポ感で育った日本人には、和声の授業を受けても、【Schwerpunkt(重心)のある緩急の波】は理解し難いようです。

私は、パート譜にSchwerpunktとフレーズが分かるように書き込んで、先ほどのインターネットページに載せた図をコピーして配り、説明してからリハーサルを始めます。
それでも、リハーサル初日の最初のコマは大変でした。

ディヤングルタさま、コメントありがとうございます。

最後になってすみません。
同業者の方っておっしゃるので
本当にビックリしました。
私は基本的には自分の世界があるので
あまり他の人の世界には
ああだ、こうだと思わないようにしています。

でも伝田式聴覚トレーニングとか
Schwerpunktとか
スゴイなあと本気で思います。

どちらかと言うと私は感覚派なんですね。
だから理論は後付けです。

日本の音大は出ていませんが
ウィーンの音大では勉強しましたから
そこに沢山の日本人音楽家がいらっしゃいます。

彼らと指揮の勉強会をしていましたが
そこで感じたことが
昨日ようやく言語化されて出てきましたので
ここでお伝えしておきますね。

私はピアニストとして立とうと思っていたんですね。
指揮とかは考えたこともなかったんです。
だから斎藤指揮法とかは勉強しようと思っても
「もう無理!」だったんです。

というのは何かが違ったから。

この「何かが違う!」というのは重要ですよね。
伝田さんならお分かりいただけますでしょうか?

私は音を出すときに(ピアノでもオーケストラでも)
音の色が見えるわけです。
これは長い間に培った感覚ですが
例えばラフマニノフのチェロソナタのゆっくりの楽章。
左手でミ♭、右手でソ♭を楽譜には
同時に弾くように書いてありますが
ホロヴィッツはずらします。

もちろん私も大幅にずらして始めます。
何故なら「響き」が欲しいからです。

ピアノでそうやって弾くのに
なぜアンサンブルだと
ずらしたらいけないか?

コレペティトール、つまりオペラのピアノを弾く授業とか
ウィーンでは徹底的にやるんですが
私は最初にワーグナーの「トリスタン」と
R.シュトラウスの「エレクトラ」を持っていきました。

するとハラルド・ゲルツさんという
ウィーン国立歌劇場のコレペティの先生が教えるわけです。
そこで私が「響き」を大切にしようとすると
「きみ、もう少しハッキリ、しっかり弾きなさい」とは
実は言われなかったですね。

むしろ歌詞を全部歌いながら弾くわけですが
歌詞と流れの重要性に
着目していたみたいですね。

何かちがうんじゃないか?
そう感じるのは
日本社会とヨーロッパの社会の違いかな?

そう思うんです。

私は幸いなことにイエズス会の男子校で
6年間過ごしましたが
設立当初からのドイツ人、スペイン人、ポルトガル人、
アメリカ人、アイルランド人が生物や物理、化学や英語を
教えてくれました。

でもあまり聖書について強要されませんでした。
むしろ自分としては
西洋音楽の音の響きのなかに
「浄化」や「光」を見たのですね。

何かちがうんじゃないか?

日本人の指揮者とオーケストラが
ブルックナーの交響曲を演奏するのを聴いたことがあって。

別にメンデルスゾーンでもベートーヴェンでも同じですが。

ブルックナーとはザンクト・フロリアン教会の
オルガニストだったわけです。
数に対するマニアでしたよね。

数とは数秘ですね。神聖なもの。
つまりブルックナーには「聖なるもの」がまずあって
ワーグナーの「パルシファル」のなかにある
「アンフォルタスの傷」はキリストの傷ですが
その「痛み」は現実の痛みであり
「俗なるもの」なわけです。

極めて形而上学的な部分もあるんですが
それはベートーヴェンの後期のピアノソナタと同じですね。
そこに現実の痛みが宿るわけです。
それがワーグナーの偉大さのような気がしますし
それを「楽劇」ではなく、「純音楽」で表現したのが
ブルックナーの音楽のように思うこともあります。

ブルックナーの音にはそういう聖なるものと俗なるものの
対比があります。
キリストの痛みや傷。光が強いだけに影も強くなる。

でも聖なる光は「持てる者」と「持たざる者」の
二種に分かれます。

日本社会に聖なる響きは似合いませんね。
そこが欠けると、影もできません。

つまり音のなかに包含される光を感知する能力。
そこに気が付いた人は
日本人でもコントラストを生み出せますね。

私の知る限り、できる人が、埋もれてはいますが
既にかなりの数存在します。

私のお役目はそんなところです。
ローマのカラヴァッジョの壁画を思いだします。

光と影のコントラスト。
そこにある意味ヒントが隠されているように思います。

コメントありがとうございます。
今後ともよろしくお願いしますね。
村中より


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コメント

  • コメントブログに取り上げてくださって有難うございました。

    いろんな方の中で、とりわけ哲学者の床屋さんを取り上げられるところがこれまた村中さんの面白いところ!貴族のお屋敷やらお庭やら、普通の人間が凄い!と思うような人々にきっとたくさんお目にかかっていらっしゃると思うのに・・。
    でも、重要なのはみんな同じ目線なんですね。(^-^)

    いつか村中さんに、お友達を選ばれる時、何を基準に選ばれるのか。この人とはやっぱり合わなかったと思われる時は、何がきっかけにそうなるのかみたいなお話も聞いてみたいです。

    アラブの王様のお友達にならなかった村中さん。なんとなく理由がわかります。
    お金が絡むと魂が自由になれなくなるからですね!(^-^)


  • Re: コメントブログに取り上げてくださって有難うございました。

    >>1
    九子さま。
    こちらこそ、再度のコメントありがとうございます。
    でも誤解しないで下さい。
    アラブの国王御前演奏を御断りしだ理由は、日本で指揮したかったからです。
    10年と言う長い時間をヨーロッパで過ごした人間で、しかも誰も自分を知らない場所である日本に行くことは、ある意味大きな夢の実現でした。
    おまけに自分の生まれた国ですものね。
    でも社会への帰属意識は当時ゼロでしたね。完全なアウェイ。
    自分の祖国がアウェイなんて不思議な感覚でした。

    でも大学を卒業する前に、数多の就職先の可能性を全て反故にして、単身ヨーロッパに乗り込んだ若僧が、10年と言う歳月を費やして何か別な感覚を纏って帰ってみたら、意外とこれが、企業への帰属意識と同じ感覚わ要求されたみたいでしたね。
    日本社会には見えないメカニズムがありますね。
    気が付かないで、これに忠誠を誓わせられます。
    そうすると私みたいな人間は、チカラを奪われる。

    音楽は自由な感覚の生き物ですが、それを聞いてみなさんが自由になる瞬間を味わうワケです。

    これが本当の音楽の意味だと

    私は確信しています。
    でも社会への忠誠を誓わせる雰囲気は、その自由さえ奪いかねない。

    みんな同じ人間。自由になって良いんです。せめて音楽の中でそうなって欲しい。

    その為に私個人は自由でないと。
    ヨーロッパでは床屋も肉屋も検事もミリオネアも、みんな一緒です。
    みなさん自分のスタイルを貫いて生きているように、私の眼からは見えました。

    日本人は空気を読むのが「好き」ですよね。読まない選択肢は無いみたいな感覚が、社会には万延しています。

    でもこれに価値を置き過ぎると、自分のスタイルや価値観を持つ人が出てこられなくなります。

    今はそれでみなさん安心しておられるけど、ある特定のエネルギーを封じ込めるわけですから、何処かで帳尻を合わせないといけなくなる。

    だから日本中で祭りをやってるように見えますね。観ていると
    何でも祭りに変わりますよね。

    日本人は凄いと思いました。
    (まるでガイジンの話みたい(^^))



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