指揮者になる法④「女性礼賛」

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From:村中大祐

自分の得意分野を突き詰めていくと
やがて見えてくるエッセンスが
自分なりに出来上がってくる。

これは誰でも長い期間努力をしたなら
得られるノウハウのようなもの。

そのノウハウは、自分が属する社会でも
うまく利用できるのではないか?
つまり自分が努力して得た知見を
世の中の役に立てることができるのでは?

そう言う妄想にも似た思いが
頭をよぎることは誰にでもあるのではないか。

でも何事も検証作業は必要だ。

と言う訳で様々な分野の方と出逢って
お話を聞きに行くことが
昨今多くなってきた。

出会う顔ぶれは千差万別。

ありとあらゆる他業種の方が来られると
不思議に日本社会の共通点が見えてくる。

現代の日本社会においては
女性はヴァイタリティに溢れ
男性はおとなしい雰囲気だ。

それが現代の日本社会の姿なのだろうか?
言い方を変えるなら

女性は逞しく、男性は不自由に見える。

リーダーシップ論を語るのに
様々なリーダーとの出会いは必要不可欠だ。

自分がリーダーとしての経験知も大事だが
それ以上に数多くのデータが必要になってくる。
さもないと独りよがりになってしまうからだ。

面白いことに男性がエネルギーを落としていることと
非常に密接に関連があるのは
「女性のちからを借りる」ことができるかどうか?
ということだ。

意外に世の男性は女性のちからを使うことができない。

なぜだろうか?

女性に見透かされるのが嫌なのか?
女性に職場を奪われる気がするのか?
自分の男としてのプライドが許さない?

私が見るかぎり、優れたリーダーはみな
女性のちからをうまく利用している。

これは世界中どこでも同じで、
また昔から変わらない真理だと思う。

陰陽のバランスから言ってもこれは正しいし
社会のなかに男と女しか居ないわけで
女性のちからとは、群れをなす男性のちからより
ひょっとすると今の時代は重要なのではないか?

有名な宰相たちの陰には必ず女性がいたわけだし
私の知る限り、優れた指揮者も女性のちからを
見事に有効活用していた。

ヘルベルト・フォン・カラヤンの陰には
常に女性がおり、最後はベルリン・フィルとの関係も
女性クラリネットのザビーネ・マイヤーを入団させるかどうかで
悪化したくらい、女性のちからを利用しようとしていた。

カラヤンの後にベルリンのトップに立った
クラウディオ・アッバードは
常に女性たちに囲まれて仕事をしていた。
彼の仕事のオフィスには若い女性たちが殆どだったように
私は記憶している。

日本の社会は未だ男性社会だと
働く女性たちからよく聞くのだが
その本当の意味とはいったいどういうことか?

それは女性が持っているちからを
その社会のリーダーがうまく活用できていない、
ということではないか?

男性だけが集まる組織がうまく回るのは
ワンマン経営者の経営スキルが異常に高いか
あるいは年功序列などの不自由が一切なく
自由闊達な議論が、年齢に関係なく行われる場所。

この2つしかないように思う。
しかしそのような場所はそうそうお目にかかれない。

女性というのはある意味、その存在からしても
私たち男性に「年齢」を忘れさせてくれる。

彼女たちは男が年上だろうが、年下だろうが
自分と対等にモノを語ろうとしてくれる。

その直截さと感性のすばやさが
男の凝り固まった枠をぶち壊すのだ。

男とは意外に自らを不自由にする生き物であり
その不自由な自分で創り上げた枠を
女性がいとも簡単に壊してしまうと
怒り心頭に発し、というような状況になったりもする。

だが考え方を変えてみよう。
自分では崩せない足かせを
いとも簡単に女性たちはぶち壊してくれる。

ありがたい存在ではないか!

物事の本質を考えようとするとき
男性はいちど枠を捨てなければならない。
さもないと、自分が見ているものが絶対だと
信じかねないところがある。

それを女性がぶち壊し、すす払いをしてくれる。
そんな社会は、ある意味健全な社会だ。

指揮者としてオーケストラと相対するとき
リーダーとして組織と向き合うとき
女性のちからを何が何でも借りるべきだ。

自分が気が付かないことを
いとも簡単に教えてくれるのは
実は女性たちなのだ。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

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