指揮者になる法⑧「指揮者と共時性」

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From:村中大祐

演奏家に演奏部分をアウトソーシングすると
自分の仕事はいったい何になるだろうか?

オペラの世界では演出家という職種がある。
演出家はどちらかと言えば
演出をするだけでなく、劇場をコントロールする
ポジションに就く。

ドイツでは劇場のインテンダント、つまり劇場主には
演出家が就任することが多いのも
演出家の仕事が演出するだけにとどまらないことを示している。

指揮者が劇場主になることは、極めて稀なことだ。
全くない訳ではない。
例えばNHK交響楽団の名誉指揮者W・サヴァリッシュは
かつてミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の劇場主だった。

だがそんな指揮者がトップに立つという例は稀で
大抵は演出家が劇場のトップに就任し
演出以外の劇場経営を行うのが一般的だ。

それが何を意味するか?

つまり演出家はプレーヤーPlayerではないということ。
現場には出て来られない。
劇場のリーダーであると言っても
やはり舞台裏に君臨する仕事と言うべきだろう。

私が面白いなあ、と思ったのは
有名な世界有数の演出家である
ミヒャエル・ハンペ氏との仕事だった。

ハンペ氏とは「魔笛」「コジ」「フィガロ」など
モーツァルトのオペラを数多くご一緒したが
彼のようなDominantな、場の中心を捉えて離さないような
優れた演出家と一緒に仕事をしているとき

オペラの練習の現場は本当に豊かな
インスピレーションに溢れたものとなる。

だがそのチカラもオーケストラとの練習が入ると
段々と薄れて行き

やがてはゲネプロになって
現場から演出家が離れなければならない瞬間がやって来る。

その時のあっけなさ。
彼は手をもう出せないのだ。

全てが他人に委ねられた瞬間
彼が極めて寂しそうな顔をするのだ。
そして私に向かって
「お前たち指揮者の出番だ!」
みたいなことを言うわけだが。

横浜で彼と一緒にオペラの運営をやっていて
思ったことだが
彼の中に何度も指揮者に対する嫉妬に近いものを感じたのは
私の思い過ごしだろうか?

いや違うと思う。
彼はもう自分が「生きる場」を失うわけだ。
練習場から離れた瞬間、その役割が終わり
もう用事はないわけだ。

その時の演出家の悲哀は
舞台に一緒に向かう指揮者からは
想像もつかないほどの哀れさなのだ。

因みに私は数多くの優れた演出家と一緒に
仕事をこれまでする幸運に恵まれたが
ここまで演出家が舞台と別れを惜しむ例は
ハンペ氏以外に見たことがない。

つまりこのエピソードからも分かるように
指揮者とは練習現場から
今度は本番の舞台へと
音楽家と共に移動し
そこでエネルギーを共有することができる
非常に稀有な存在だ、ということなのだ。

サッカーの監督や野球の監督を例にとっても
きっとお分かりのように
彼らも実は現場にいくつか影響は与えられるものの
やはり実際の舞台には立てない。

それを考えると指揮者という人種は
極めて不思議な存在と言わざるをえない。
共時的という言葉が当てはまるかどうか
わからないが(Synchronaize)

時を同じくするだけでなく
エネルギー体を自分というフィルターにかけて
それを聴衆と共に共有する仕事。

そう思えば、非常に不思議な存在である。
あなたはどう思うだろうか?

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

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