指揮者になる法⑩「自分の経験の価値とは?」

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From:村中大祐

自分自身であること。
その存在を受け入れること。

これは何をやるにも必要。
多分社会の中でもまれて行くうちに
人間はみな、そんな顔になっていく。

よく40を過ぎたら自分の顔に責任を持て!
と言われる。(50の場合もあるかもしれぬ。)

人が社会という鏡に映る自分を観ながら
変遷していく姿は美しいのだ。

最終的には「自分はこんな感じ」という
ある意味自己肯定の境地になればしめたものだ。

そうやって自分の良いも悪いも受け入れて
自分自身になること。
自分のすべてを受け入れてやること。

そうなると、自分の人生で得たものを
周囲とシェアしたい、と思いだす。
この人生のエキスを音楽に託すのが指揮者かもしれぬ。

だから人一倍自分と向き合う。
そうやって深堀りした自分の経験値(知)。
それを音を通じて皆と共有する世界が
指揮者の存在意義のように思うのだ。

それはおそらく会社のデスクに座っていても
全く同じではないのか?
周囲の人間から、良くも悪くも受け入れられて
そこに座って居られるその姿。

そこから周囲の人間に一歩進んで歩み寄り
自分の考えや世界観を仕事を通じて
共有していく姿。

それこそが私の指揮者像だ。

前に書いたが私の座右の銘はこれだ。
Le cose straordinarie sono la vita delle persone comune.
普通の人生こそが特別なのである。
なにも特別な人生など存在しない。
皆それぞれに人生のドラマがあって
それは小説よりも奇なり。

そう言った一人一人の人生の価値みたいなものに
気が付き、それを慈しみ、愛することができると
エネルギーが動きだす。

そのエネルギーを自分の身体のなかに受け入れ
フィルターとして世界に映し出す。

音楽の違いとは果てしもなく大きい。

意識、無意識レベルでここまで違うと
もう別物である。

「指揮者が立っているだけで良い」ことの意味は
まさにここにある。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅より
村中大祐

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