指揮者になる法⑪「強いアタマを持て!」

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その昔ある言葉に出会って
励まされた記憶がある。

それは京都大学の哲学科の教授で
柔道部の顧問の言葉だった。

残念ながらお名前は失念したが
朝日新聞のインタビューに答えておられたのを
ウィーンの留学中、日本から送られて来た
新聞の切り抜きで読んだわけだ。

「強いアタマを持て!」

これがメッセージだった。

不器用でも良いし、回り道をしてもいい。
自分のちからで考え抜き
オリジナルな考えに辿り着け!
というような話だったと記憶する。

実際にやってみるとわかるが
自分のちからで不器用に立ち回ることは
経済的ではないし、ドツボにはまれば時間がかかって
もうどうしようもない気分になるものだ。

でも出来上がりは素晴らしい味わいだ。
誰にも真似のできない「自分だけ」のノウハウが
身に付くわけである。

これは「継続する」ことさえできれば
誰でもいつかは到達できる境地。

昔は黙って10年やってみろ、続けてみろと
よく言われたが
「石の上にも3年」ではなく
やはり10年くらいかけろ!思う。

坂東玉三郎さんが嘗て同じことを言っていた。

20代は30代のため、30代は40代のためにある。

10年スパンでものを考えろ!ということ。

これまで多くの成功した芸術家や
経済人にお会いしてきたが
皆一様に言うことは一緒。

「難しい選択と簡単な選択。
そのどちらを選べと言われれば
私は難しい選択をしてきた。」

みな難しい選択をして、これまで戦い抜いてきている。

今の世では私よりも若い人達で
既に大きく成功した人は沢山いるが、
彼らが言う「成功」とは、ひょっとすると
かつての「成功」と違うのではないか
と思うのだが、それは間違いだろうか?

本当にこれでよいのか?と思ったりするのだ。

世の中全体が「速く成果が出る方法」を
追っているような気がする。

これは危険だと思って見ている。
結果が速く出るものほど
危ういものはないからだ。

私は音楽家だが、音楽も速く習得できるならば
それに越したことはないのだが
残念ながら「身に付ける」には
膨大の練習・訓練と、一見「無駄に見える時間」。
これらが必要なのだ。

この無駄を省くために、日本中が競争しているのが現実だ。
インターネットやコンピュータによる効率化。
人間的な部分の努力をAIが肩代わりする時代になるというのか?

そこではもう無駄は要らないのか?

でもその流れを嫌う人が多いのも事実だ。

指揮者の世界に例をとってみれば
ある時期からオペラを指揮しないでコンサートの
フィールドだけで活躍する人達が
世界を席捲するようになった。

これも一つの時代の流れだと思って見ていたが
これは「やるべきこと」をやらないで素通りしたわけだ。

この大きな損失は素通りしてきた本人にしか
分からないと思う。
その「負い目」を抱えて前に進むことになる。
これはある意味哀れなものだ。

後になっては取り返しがきかないものだからだ。

オペラには手間と時間がかかる。
練習に2か月、公演に8~9回。
多い場所なら1か月以上に亘り公演を指揮しなければならない。

逆にコンサートは長くても4~5日で練習から本番が終わる。
経済効果から考えれば、コンサートを続けた方が
余程効率が良いに決まっている。

でもオペラで身に付けられるノウハウとは
限りなく大きい。だから歴史的に見ても
指揮者はオペラを指揮して育ってきたという経緯がある。

嘗ては指揮者は誰もが音楽のエッセンスをオペラを学ぶことで
身に付けていった。何故なら作曲家がオペラを通じて
曲の中に込めるエッセンスを磨いていったからだ。
ドラマ性や言葉と音の関連などを、オペラの中で学んだのは
あの偉大なモーツァルトだった。
だからモーツァルトを本質的に理解するためには、
何より彼のオペラを学ぶ必要があった。

ピアノを弾き、歌い、演出家や歌手に付き合う。
その中で得られるノウハウは残念ながら
ある時期から軽視されるようになる。

そしていつしか表舞台に立つ指揮者は
コンサート中心の指揮者が殆どとなった。

でもこのところ少しずつ風向きが変わってきている。

クラシック音楽の世界は21世紀に入って
新しい方向性が打ち出せなくて
しばらく停滞していた感がある。

それがここに来て少しばかり
新しい方向性が示されてきているように思う。

アッバードやラットルが育てようとした
若い世代の指揮者。
彼らの育てようとしたヴェネズエラの若手の指揮者や
イギリスの俊英たち。

そう言った人達がベルリンやウィーンの首席指揮者に
選ばれなかったことは
これからの時代の方向性が変わったことを意味している。

叩き上げのオペラ指揮者たちが、ドイツ語圏で台頭を始めたのだ。

これが何を意味するか?
世の中はどういった方向に行くのか?

それについては9月3日の茶会でお話しするが

今音楽だけでなく
世界全体が変わろうとしているということなのだ。

皆変化が来ることを本能的に感じて焦っているが
ここは焦ると大変な貧乏くじをひくことになる。

世の中はホンモノを求めている。
つまり自分のオリジナルを持っている人間が
必要とされようとしている。

意外にAIの話題は出て来ない。
それはあくまで手段だからだ。

むしろ、もう偽物は通用しなくなるはずだ。
自分のチカラで叩き上げた人間が
これから生き残ることになるだろう。

自分のなかに培ったものがあるか?
自分の中にどんな強みがあるのか?

そう言った世の中の求めるニーズが
ヨーロッパでの指揮者の変動を観ていると
よくわかってくる。

アメリカを観ている日本人には少々辛口の意見だが
今後はヨーロッパの動きに注目すべき。

ヨーロッパの動向については
クラシック音楽の世界を観ていれば
その流れが必ず見えてくるはず。

マスコミに踊らされず
自分の考える軸を持っていれば
世界の動きは見通せる。

今日も素敵な一日を。
横浜の自宅から
村中大祐

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