指揮者になる法⑫「3か月英語」

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マーラーはオペラ指揮者だった。
マーラーの世界を知るのにモーツァルトを知らないと
おそらく何もわからないだろう、とそう思っていた。

同じくマーラーはワーグナーに心酔していた。
だからワーグナーをレパートリーに入れないと
マーラーは指揮できない、と思っていた。

同じくアルフレッド・ロラーとのコンビで
ウィーン国立歌劇場の音楽監督時代に
マーラーはベートーヴェンの「フィデリオ」で
この演奏史に革命を起こすことになった。

現在「フィデリオ」がまだ演奏されているのは
マーラーの功績だと思っている。
この「フィデリオ」を知らずして
マーラーを語るな!と思っていた。

バーンスタインは「フィデリオ」や「トリスタン」は指揮した。
だがモーツァルトのダ・ポンテのオペラを
指揮することはなかった。

バーンスタインのマーラーの演奏を90年代終わりまで
唯一無二と思っている輩は多かったが
今振り返ってみると、やはり私の考えは正しかったように思う。
マーラーの交響曲を広めた功績は認めるが
やはり何かを忘れていないか?と訊きたい。
もちろん素晴らしい音楽家であったことは疑う余地はないが。

絶対に超えなければならない山、
絶対に外すことの許されない大事なプロセスというのは
どんな仕事にもあるように思う。

昨今は何もかもが
「楽をしてできる」ことを求めすぎだ。

でもホンモノは今も昔も変わらない。
影で皆が努力をして、人とは比べられない
優れた結果をもたらすものだ。

「なぜ私たちは3か月で英語が話せるようになったのか」
と言う本を買ってみたが
マインドセットしか書いていなかった。
恐怖や劣等感を克服すればよい。それだけだ。

こういうビジネスもあるのだろう。
それで平和で幸せな毎日を送ることができれば
この本にも意味はあろう。

だが言葉というものは3か月で出来上がるものでもなければ
本を読んだからできるようになるものでもない。

一生を賭けて学ばなければ
日本語さえ満足に使えないものなのである。

そんな当たり前のことを忘れて
簡単な方法や、すぐにできる方法を探そうとすると
後で痛いしっぺ返しを食らうことになる。

私の場合、他に何か思いつかなかったので
音楽家になるためにドイツ語をやってみたが
外語大で4年やっても
ドイツ語は難しくてできるようにならなかった。

確かにできる人間もいたが
私の場合はやり方が合わなかったように思う。
だからドイツ語圏で自分なりの方法を使い
ドイツ語がペラペラになった。

でも今でもドイツ語の本を読む時は
アタマが痛くなる。まあ、音楽関連なら問題ないが
それでも英語やイタリア語の書籍の方がラクだ。

それは相性と言うものかもしれない。
だができるようにしておかないと
ワーグナーやR・シュトラウスができないではないか。

ワーグナーをできるようにするったって
これも大変なのだ。
私たちの場合、自分の解釈を世に問うわけだ。
単に演奏すればよいわけでもない。

自分の解釈はこれだ!とやらないと
全く仕事にならない。

だからヨーロッパ人と同じ土俵に立つ必要がある。

オペラというのは、オーケストラを準備することが準備ではない。
歌手を準備する必要があるのだ。

そうなれば世界の歌手たちに
歌詞から歌い方まで徹底的に話ができないと
相手にもされないのだ。

それを言葉ができない、だの言った日には
そこで脱落なわけだ。

指揮者は結構ラクをしようと思えば
ラクができる職業で
現場で「腕を動かす」ことだけやっていれば
一応は仕事になる。

だが一番大変なのは歌手の音楽稽古だ。
最初にここで自分のアイディアをすべてつぎ込めないと
後は野放し状態になる。

歌手の稽古?
そう。歌手より歌を歌えないといけない。
言葉は全部入っていないと、稽古などつけられない。

でも言葉が全部入っていて、それが記憶できて
それでも稽古をつけるのは難しい。
覚えたものが、本当に自由に使えないとどうにもならないからだ。

ここからマインドセットが必要になる。

あなたは何を発見したか。
あなたはこの作品の何を表現したいか。
あなたは歌手を自由にしながらも
どうやって自分のプランを徹底的に遂行するか。

以前にも書いたが
指揮者のリーダーシップは、演出家と違う。
演出家は現場に出られない。
だから自分のやり方を細部に至るまで
稽古場で徹底しようとする。

でも指揮者は現場に出て
舞台のその場で直接影響を与えられる立場にいる。

そうなれば歌手やオーケストラの自発性を促しながらも
自分で手綱をひき、自分のプランを徹底することもできる。

すなわち相手のチカラを使いながら
相手から出てくる新しいアイディアをその場で料理しながら
最終的には自分の向かう目的地に着くことができるのだ。

それが指揮者の醍醐味。
でもそこまで行くには
3か月の英語では無理だ。

言葉とは一生付き合わなければならない。
一生のうちに、昔わからなかった言葉の
深い意味が理解できるようになる。

つまりひとつの単語が
人生のなかで変容していくのだ。
そういう言葉との付き合いを
学ぶなら学んでほしいと思う。

それには、日本人の場合であれば
日本語が進化しなければダメなように思う。

日本語の深み。さあ、どうする?

今日も素敵な一日を。
横浜の自宅から
村中大祐

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