指揮者になる法⑮「やるっきゃないの世界観」

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From:村中大祐

私がウィーンの音楽大学の指揮科を受けた時の話は
かなり色々な場所でしているから
もう聞き飽きた、という方はスルーしてほしい。
何せこれ、私の原点。

当時の私はスコアも満足に読めず、
指揮もどうしてよいやら
わからないような状態で
大学卒業2か月後の5月、
ウィーンに向け渡欧したのだが

そんなええ加減な状況で
世界の最高学府であるウィーンの音楽大学(Hochschule)の
指揮科を受けに行った私の心臓には
恐らく分厚い毛が生えていたはず。

それこそ、日本で既に指揮の勉強も済ませた人達が
試験場で同じ日本人の私を見るなり
「君は何を試験で振るの?」と訊きに来る。
それに答えるのも一苦労だが、
私が「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」
と答えると、
皆一様に私を軽蔑したような顔をするのだった。

「なんだ、こいつ大したことないな。」
そういう思いが皆の顔に書いてあった。
そして、「君には会ったことないな。どこの大学?」
と訊かれて「東京外語」と言った日には
スーッと消えてしまうライバルたち。

そんな彼らは今どうしているやら。
人生とは誠に奇妙奇天烈なものだ、と思ってしまう。

実はその時の私は、前の日にひとつ音楽大学に合格していた。

それはウィーンにあるもう一つの音楽学校、
ウィーン音楽院(Konservatorium)の指揮科だった。

その学校は上記のウィーン音大より入試が比較的易しくて
ピアノを弾くほかに、視唱といって初めての楽譜を
初見で見ながら歌を歌う試験、そして
確かモーツァルトの魔笛の第一幕の出だしを
ピアノで弾き歌いしただけで入学試験は終わったのだ。

「指揮をする」試験はなかったわけで、
ピアノは弾けるが、指揮をしたことがない私にとっては
まさに好都合だった。

でも数時間後に張り出された「合格」の文字を見たとき
腰が抜けて、激しく泣いたのを今でも思いだす。

まさか合格すると思っていなかった。
周囲の合格した人間たちは、みんな涼やかなものだったが
私にはそれなりの「賭けた思い」があったのだ。

東京外語大在学中、すべての就職を辞退して
ひどい胃潰瘍になっていた。
通学のための京浜東北線のなかで
何度も調子を崩して
東京駅の救急にお世話になったりした。

当時東京の北区の西ヶ原に大学があって
我が家からは片道2時間半かかっての大学通いだった。

ソニーや野村證券、トヨタや色々な優良企業からのオファーを
全部断っても、まだ高校や大学の先輩たちから夜23時ごろに
「おい、村中、今から出てこい」という電話がかかってくる。

それを全て
「私は音楽家になるので就職はしません」
と断ると、決まって
「え?何?なんていった?お前バカじゃないのか?」
という話になり、ひと悶着あった。

それを毎回こなすのには、かなりの覚悟が必要だったものの
何とかやりおおせた。
しかし精神的・肉体的なストレスは
ある意味極限に達していた。

それは人生の一大決断だった。

それでも「やる」と決めた音楽を
ピアノから指揮に切り替えてウィーンの受験に臨み
「合格」の文字を見た時には
さすがに自分のなかで
何かが一つ、弾けたようだった。

実際にはまだ何も始まっていなかったのだが...

ひとしきり泣いた後
私はボーっとした心持ちで
学校の外に出てケルントナー通りを歩いていたが

そこでよく見かける路上ミュージシャンの4人組が
モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」を
結構楽しそうに弾いているのを見かけたのだ。

それを聴いていた私は
「ああ、これならやれるかもしれない」と思った。

でも実はまだ楽譜は手元になかった。

何故なら翌日試験が予定されているウィーン音楽大学は
指揮に関する世界の最高学府。200人ちかくが受けに来るわけで
その中には世界中で指揮者を目指している若者だけでなく
実際の指揮者も居るくらいだ。

ピアノ演奏のほかに筆記試験が難しく
実際の指揮もさせられる、と聞いていたから
まずは無理だろうと思ってしり込みしていた。

指揮する課題曲は3曲。
シューベルトの「未完成交響楽」
ベートーヴェン「交響曲第1番」
それにモーツァルトの「アイネ・クライネ」だった。

こののいずれかを指揮しなければならない、というのは
「ああ、もう駄目だ」と思う私が正しい。

だからウィーン音大試験本番前日にある
もう一つのウィーン音楽院の試験を重視していたわけだ。
そうやって合格できたなら、
指揮自体は後から学ぼう、などと思っていた。

ところが一つ試験に受かってみると
人間というのは強欲なもので
翌日のウィーン音楽大学に
この「アイネ・クライネ」で受けてみよう!
とそんな思いになったわけだ。

筆記試験が終わった後
ピアノと指揮の実技の試験の会場で
多くの若い指揮者たちと出会ったとき

彼らが「巨人」に見えた。
つまり自分が小さく見えたのだ。

日本人の指揮科卒業生たちに
呆れられながらも
自分の番がやってくると
とにかく昨日のルンペンみたいな音楽家が
弾いていたような音楽をやってみることにした。

とにかく4拍子だ。
振り方なんて考えなていなかったから
4つで振れば良いだろう、くらいに思っていた。

そして教室に入ってみると
試験官のほかにピアノが2台置いてある。

そこに4人のピアニストが陣取っていた。
つまりこの人達を指揮しろ!というわけだ。

実際にはそんな場所を見たこともない私は
ピアノ2台と4人のピアニストを指揮する、
という感覚に正直面食らいながらも指揮台に立ち

まずは号令をかけた。

「アインツ、ツヴァイ、ドライ、フィア!」
ドイツ語の1,2、3、4を大声で叫んで始めたのだ。

会場はその後爆笑に包まれた。

これが私の幸運の始まりだった。
必死な私の号令は、審査員たちの爆笑を誘ったからだ。

その後にピアノでベートーヴェンの「テンペスト」を弾き
確か作曲家の教授がその演奏を褒めてくれて
最後に主任教授が質問をしてきた。

Warum haben Sie 1,2,3,4gemacht?
「なんでお前、1,2,3,4とやったんや?」

それに対して
Warum nicht?t
「なんであかんねん!」と答えて
更に会場は爆笑の渦へ。

こうして私は音大への切符を手にしたのだった。

人生なにが起こるかわからへんもんや。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

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