指揮者になる法⑯「ディーヴァと付き合う法」

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昨日面白い映像を観た。
かつてウィーン国立歌劇場の音楽監督も務めた
ロリン・マゼール氏の指揮で
ルーマニア出身オペラ歌手のアンジェラ・ゲオルギューが
コンサートでプッチーニの「蝶々夫人」のアリアを歌う。

そんな映像だ。

このアリア、何度かテレビの中継(「題名のない音楽会」)
などでも指揮しているが
本当に面倒なアリアだ。

歌手の思いは「自分がディーヴァ」らしいが
指揮者にしてみれば、
それなりのクライマックスを必要とするアリアで、
組み立てが肝心だと思ったりするわけだ。

ただ伴奏するだけでは物足りない。

そんな時、歌手は「自分が役の中に入って蝶々さんを演ずる」
という気分になっている。

このビデオ映像を観ていて痛いほど分かるのは
大指揮者のマゼールが、御年75歳くらいだが
40半ばのゲオルギューは彼のことなど見てもいない様子。

つまり指揮者無視の態度なのだ。
実はこれ、非常によくある話だ。

歌手が指揮者を無視する理由にはいくつかある。
1.息を理解しないで指揮者が指揮しているとき
2.曲を理解しないで指揮者が指揮しているとき
3.歌手が未熟なとき
4.歌手が絶対的自信を誇示するとき

1.は世界中でいつも起こっていて、歌手は指揮者の餌食となる。
つまり指揮者のエゴの犠牲になって、
自分の声を痛めるだけでなく、本番で最高の演技ができない。
これはよくあることで、歌手の息を聴く技術を
身に付けていない指揮者は多いのが実情だ。

2.は曲を理解しない、と書いたが、もっと詳しく言うなら、
コンサート指揮者がオペラを振らされたときによく起こる話で、
まったくオペラの伝統について無知な指揮者によくある場合だ。

3.まだ経験の浅い歌手は指揮者を見て歌う余裕もないことがある。それもまた、起こり得る話だ。

4.ここでは指揮者と歌手が拮抗する。
指揮者は自分の解釈を押し付けようとするし、
歌手は自分で勝手に歌いながら、
「伴奏しろ」と無言で命令しているようなものだ。

1から3はまだかわいいものだ。だが4は違う。

4の場合は、既に練習時に歌手と指揮者の間で交渉は決裂している。

指揮者は「はやく本番が終わってほしい」と祈っているし、
「もう二度とこんな歌手とは仕事をしない!」
と決意しているはず。それがこのビデオのゲオルギューとマゼールのやり取りに垣間見える。

最後まで観るのは忍びなくて、想像だけだが
恐らくアリアを歌い終わった時点で、マゼールは
ゲオルギューを抱懐するか、手にキスをしているはず。

だが内心は怒りで煮えくり返っているだろう。

「マダム・バタフライ」というオペラ。
昔同じような場面、でも関係性が別のものに遭遇したことがある。

1990年代私がイタリアのローマに居た頃、
夏はヴェローナオペラ祭で研修していた時期があった。

仕事仲間たちが沢山ヴェローナに居て
AfiAに来てくれた現在フェニーチェ歌劇場の
ロベルト・バラルディ(ヴァイオリニスト)も
当時20代前半でヴェローナのオーケストラのコンサートマスターだった。

その時同じプッチーニの「蝶々夫人」のリハーサルで
指揮者のイタリア人と蝶々さんのルーマニア人歌手、
ライナ・カヴァイヴァンスカのやり取りが強烈だった。

何と彼女は「自分で!」指揮を始めたのだ。
「マエストロ!ここはこう!」

もうあれを見ていて指揮者というものが
如何に大変か!を感じた。
「ご愁傷さま」の言葉しかなかった。

終わってからリハーサルを見せてもらった御礼を言うと
その指揮者は私に
開口一番こう語った。

「お前、バタフライは日本の話だと思うだろ?
あれはな、イタリアのオペラだ。
Opera Italiana!だ!」

そう捨て台詞を残して去って行った。
余程腹の虫がおさまらなかったのだろう。

ルーマニア人の歌手たちが
みなそう言った性格のわけではないが
基本的に指揮者というものは
歌手をコントロールするのは
極めて難しいと思っておかないと

意外な時に奈落の底に突き落とされる。

それまで練習場などで「マエストロ!」と呼んでいても
舞台の上になると、歌手は動物と化すのである。

歌手の扱いには、くれぐれもご注意あれ....

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

コメント

  • そんな大変な思いをしていらっしゃるとは!

    舞台の上でそんな火花を散らしていらっしゃるなんて、まったく知らぬ存ぜぬでした。本当に村中さんのお話は玉手箱のようです。
    ちなみに、優しいといわれる日本人歌手でも、ディーヴァとなると強いのでしょうか?



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