オタクのつぶやき⑩「宇佐と宗像の不思議」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

画像の説明
From:村中大祐

今年の始め、節分明けに
しばらく会っていない
玄界灘に住むドイツ人の師匠を見舞いに行く予定で
九州行の飛行機のチケットを予約した。

実はいきなり行って
師匠を驚かせる予定だったのだ。
なにせ相手は85歳を超える年齢。
もうそうそう動きはしないと
高を括っていたのだが

電話をしてみると
どうやら地中海クルージングの最中だという。
さすがドイツ人。
やることが違う。

実は師匠を見舞う流れで
ご縁のある神社の御礼参りを計画しており
既に5年も御礼をしていない宇佐と
3年以上ご無沙汰している宗像を
中一泊で訪れることにしていた。

「ついで参り」はいけない、と言われるが
師匠がクルージングをしているお蔭で
本当に「ついで」ではなくなってしまったのも
不思議と言えば不思議。

今年は2月11日の満月の日が
建国記念日にあたり
たまたまそんな日の早朝が
2席だけ飛行機が空いていたこともあって
雪が降っているにもかかわらず
まずは大分へと向かうことに。

雪模様だったこの日
大分空港に着いた私たちは
雪道をスタットレスを履かせた
レンタカーで宇佐まで行くと

本殿やいくつかある末社をお参りした後
宇佐神宮前にあるタクシー会社に行き
運転手に奥の宮まで上がれるか尋ねてみた。

その日は朝からふぶくほとの雪で
山登りを自分たちのレンタカーでするのは
無謀過ぎると思ったからだ。
そこでタクシーの運転手のちからを
借りることにしたわけだが

まだ雪がしっかり残った山道を
スルスルとすべりながらも
必死に運転するタクシーの運ちゃんを
励ましながら、なぜだか
何度も死を覚悟しなければならなかったのは
前に書いたblogでお伝えしたと思う。

そもそもこの宇佐神宮。
奥の宮に上がらせて頂くのは2度目のこと。
ここの存在を教えてもらったのは
ある日本の投資家からだった。

彼は私がロンドンに居ることをききつけ、
ロンドンで会いたい、と連絡をしてきた。
そしてホテル・サヴォイで食事の後
「村中さん、私は修験道をやっているんですよ」
と話されたのを興味深く聞いたわたしは
ふと、こう尋ねてみた。

「じゃあ、グラストンビュリー行きますか?」

英国のロックフェスティヴァルでも有名な
スピリチュアルなひとたちの聖地に興味を示した
この日本人投資家を
しばらくしてお連れすることになった。

そして聖マイケルの丘に降り立った彼が
丘の上で私に開口一番、

「村中さん、今度九州に行くなら
是非大分にある宇佐神宮に行ってください。
そして、行くなら奥の宮に必ずお参りを。」

それで震災から1年後の2012年の春、
九州の福岡に仕事で行った帰り道、
すこし大分に寄り道して
宇佐を訪れたのだった。

その翌年私たちは横浜でOrchester AfiAの
演奏会を開く際、公演会場まえにあって
昔からよくお世話になっている
横浜のお伊勢さんこと
伊勢山皇大神宮にご挨拶に伺った。

当時横浜の財界の方から池田宮司を
ご紹介いただいていたので
これ幸いとばかり社務所にお願いして
宮司に「自然と音楽」の趣旨をお話した。

その際、宮司がもともとは20年以上
鎌倉の八幡様におられたことが判明。
何とミツバチを鎌倉で育てておられた。

そんな個性的な宮司と意気投合し
当然ながら日本の八幡信仰の話がはじまり
八幡の総本山だった宇佐へと話がつながったとき
「宇佐の神職はもともと出光家だった」
という話が出た。

出光さんにはOrchester AfiAに
ご協力を頂いた経緯もあり、
また過去に度々「題名のない音楽会」などでも
お目にかかっていたことから
ここで話が出るのは不思議だったのだが

実際に今回宇佐に行って確認してみると
奥の宮がある山のふもとには
出光という地名があって
更に驚かされたのだった。

2013年以降
ロンドンで頻繁に指揮するようになると
ある時友人の紹介で
たまたま宗像出身の経営者を紹介された。

ロンドンで活躍する女性経営者だが
彼女に宇佐の話をした瞬間
「村中さん、宗像大社の宮司をご紹介します。
是非宗像にも足を運んでみて下さい。」
そう言われたのだった。

その日の会合からホテルに戻ると
長年会っていない知り合いからメールが入っていた。

「村中さん、共通の師匠の奥さまが他界されたから、
ロンドンから戻られたら、必ず九州に行ってほしい。」

師匠は玄界灘に隠居していたのだ。
何という偶然。
これはもう、天からの指令と感じた。

帰国してすぐ、福岡に飛び
師匠を勇気づけた後
言われた通り宗像へと足を延ばした。

そこで宗像大社の宮司とお話すると
「こちらは出光さんの崇敬神社なんです。」
と驚く話をされた。
神の島、沖ノ島の話では
「穢れ」「祓い」の言葉が印象に残った。

後に伊勢山皇大神宮の池田宮司が
「八幡宮の元は実は宗像三女神です。」
と言われたのを聞いて
出光さん~宗像~宇佐~八幡神
という繋がりがみえたのだが

実はわたしにとっての繋がりはもっと長く、
ロンドン~グラストンビュリー~聖マイケル~
宇佐~出光さん~宗像三女神~八幡神がつながった。

後に調べて行くと
宗像には元宇佐の神社があるという。
だから全部符号が一致しているように見える。

でもわからないこともたくさんある。
例えば宇佐の奥の宮の前にある八坂さんの元宮。
なぜあそこにあるのか?
八坂神社のご祭神は素戔嗚さん。
同じ山にお祭りされているのは何故だろう。

もうひとつは
鎌倉の鶴岡八幡宮と江の島神社の関係。
江の島神社と鶴岡八幡宮の関係性は
宗像大社と宇佐神宮の関係にとても似ている気がする。

日本の不思議。
探って行くとおもしろい。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

陰と陽、正負の法則について – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

画像の説明
自分より経験豊富な方には自明のことかもしれないが、
この歳になって(33歳^_^)、
やっと人生を生きる上で大切なことを一つ、
たった一つだけ理解できた。

カラヤンやチェリビダッケといった偉大な芸術家は、
その人生の中で東洋と出会い、極めて優れた人生哲学を持っていたが、私も音楽家というより1人の人間として、
ようやっとその入り口に立てたようだ。

しかし、普通の正常な日本人には当たり前のことが、
何故この歳まで分からなかったのだろう。
これは如何に自分が変人かを示す証左。

でも若いうちにヨーロッパに行ってしまうと、
陰陽のバランスをとるなど無理な話し。
徹頭徹尾、自分の信じる「正しさ」を追い求める。

だが、それもまた吉である。
それをやらねば、決して見つからない世界があるからだ。

私が最初に理解に苦しんだ言葉がある。
「清濁併せ呑む」という言葉。
或いは「きれいな水に魚は住まない」という言葉。

私はそのいずれをも、そもそも理解するつもりはなかった。
私にとっての音楽とは、「美」の中に存在したからである。
だから「真善美」の側面だけを追って音楽をしていたと思う。

そうすると人生では何が起こるか?

そこがまさに生きる醍醐味というやつで、
光が強ければ、或いは「追い求める」光が強ければ、
影も強く表面化するようになるようだ。

どういうことかと言えば、人生のさまざまな局面における
自分の想像もしない場所で、自分の思いと裏腹な、
つまりは逆のエネルギーが作用するようになるのだ。

私は若い頃、この種の自分にとって「負」とも言えるエネルギーを、ある意味振り捨てて来たし、あたかもその「負」が存在しないがごとくに振る舞い、自分に影響が全くないように思ってきた。

だが、ある時期から陰陽の学びを得るようになり、そういった
「負」のちからのお蔭で、「陽」が存在しうることにようやく気が付くようになると、全てが違った見方で見えるようになってきたのだ。

だが考えてみると、
昔から弁証法という言葉は日本でも使われている。
誰もが知っているヘーゲルの「正~反~合 Aufhebung」の話は、正に陰陽の存在から新たなイノヴェーションが起こる、
という21世紀的な筋書きのようにも思えてくる。

私は幼い頃から音楽には慣れ親しんで来たが、物心がついたころ、私が音楽を志すことは「勉強ができなくなった言い訳」として親戚一同から解釈され、母方の一族以外は、私の音楽志向に徹底して反対してきた。

あまりの執拗な反対があったため、陰陽の「陽」ばかりを追っていたころは、まるで「敵」のようなものだった。
だが、そういう反対があったお蔭で今の自分が出来上がっているのは否めない事実である。

私の名前でグーグルを検索すれば、誰が書いたのかは知らないが、私の評判の悪さは日本一である。そういったことを書かれるのは正直苦しかったが、今思えば懐かしい思い出である。
これがなければ、私の今の活動はないからである。私の中でイノヴェーションは起こらなかっただろうと思うからだ。

昔読んだことのある聖書の一節も、違和感があり続けたひとつだ。「汝の敵を愛せよ」
んなバカなことあるか!と思っていたが、まあそういう気持ちに自分がなるとは、思いもしなかった。

これまで私を憎み、私を嫉妬し、私を嘲笑した貴方。
私にエネルギーを与えてくれてありがとう。

私のエネルギーを奪おうとした貴方。
逆に私にエネルギーを奪われていたことに気が付いたか?

私はやっと気が付いた。
私はあなたたちのお蔭でここまで来れた。
そのことに感謝している。
ありがとう。

まあ、本当に書きたいことは明日に譲るが、
こんな気持ちになるとは、苦しかった当時は
思いも寄らなかった。

人生の不思議を感じている。
(つづく)

追伸:
AfiAの記念すべき第1回公演ライブ録音CDと
アマゾンで売り切れた第一弾CDのセットを無料でゲットできるのは、限定30名のみです!
詳細はこちらをクリック!

神様のご縁というものもあるらしい – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

画像の説明

ある時、ひょんなことからロンドンでお会いした方に
「村中さん、九州に行かれるなら宇佐に行くといい」と言われ
たまたま九州は福岡の仕事帰りに
八幡宮の元宮がある宇佐神宮へとお参りしたのは今から5~6年前のことだ。

九州には恩師が住んでいる。
ブレーメン出身の指揮者フォルカー・レニケ氏だ。
レニケ先生の奥方、今は亡き西内玲先生にもずいぶんお世話になったのだが
この玲先生の顔が浮かび、なんとなくメッセージを送って来られたように感じたのは1月末のことだった。

もう他界しておられるのだけれど、ふっと彼女の思いがよぎったような気がした。

「高齢のレニケ先生はどうしておられるか。」

それで思わず九州行を決めたのだが、当のレニケ先生がどうしておられるか、近況を知る友人に尋ねてみると、
どうやら80過ぎのレニケさん、
お友達とクルージングに行っておられるとのこと。

「なんだ…元気なんじゃん。心配して損した。」

ということになり、ちょっとホッとした気分から
それでは宇佐に御礼参りに行こうか…というワケで
この週末は大分に居た。

満月が明るい建国記念日の朝
6時半のフライトで羽田から飛び、目的地、大分空港に入ったのは8時過ぎ。

あらかじめ予約していたレンタカー会社は
その日2組しかいなかった客に
「今日は吹雪が吹いていて、山間部は雪で覆われています。
高速は使えないので、下みちを走って下さい。」
と言いながらも、私たちに車をいざ引き渡す段になると、
「オタクの車はスタットレスだから、別に心配しなくて大丈夫」と言う。

つまり私たちの車だけ、どうやら雪に対処できていたみたいなのだ。

お蔭で山間部を苦も無く通り抜け、1時間ほどで宇佐神宮前に到着。

内宮、外宮とお参りするなかで

「そう言えば今日は雪降ってるから、お元山に行くのは無理だよなぁ。」

と思っていたのだが、
そこは女性の勘なのか、家内がすかさず「上るんでしょ!」と言うのだ。

女とは怖いものだ。

「うん、そのつもりだけど、まずはタクシーの運ちゃんに聞いてからにしよう」

私は正直、もう宇佐神宮本宮でお参りを済ませたから、これで良し、だった。でも家内には「できたらお元山に登りたい」と言っていたのだった。

そこで、私たちは偶然目の前に居たタクシーを呼び止めた。

「今日、上がれますか?」

外を見ると快晴だが、山の上は多分雪だろう。

「山は雪だけど、お客さん、途中まで行ってみて

ダメだったら引き返すということでよろしいか?」
と言われたら、イエスと言うほかない。

何とはなしにタクシーに乗り込み、結局私たちは
宇佐神宮の元宮のあるお元山へ向かうことになった。

宇佐から元宮の麓に行く途中には
宇佐市出光という場所があって
出光家が起こった地名だと思うのだが

実は数年前に横浜にある伊勢山皇大神宮の池田宮司とお話させて頂いたとき、ちょうどこの話が出ていたのを覚えていた。

池田宮司は伊勢山さんに来られる前は
鎌倉の八幡宮で有名な「ミツバチ」を育てていた、極めてユニークな宮司さんだ。

「出光家は長い間、宇佐の神官だった」

そんな池田宮司のお話を思い出しながら、気が付くと山登りは始まっていた。

しかもタクシーでだ。

ほとんど最初のうちは雪もなかったが、途中から雪が積もって
ひとつ間違えば奈落の底に転落するような危険満載の道中。

正直タクシーの運ちゃんが

「お客さん、こりゃあ無理だから戻ろう」

と言ってくれるのを期待して乗り込んだのだが、当の運ちゃんは一言もしゃべらず、
ただひたすら上へ上へと向かっていた。

気が付くと体中が硬直したままの半時が過ぎ、
それでも何とか無事、目的地へと到着した。

途中何度も「やめときゃよかった」と思う始末。
3人の命を云々する事態にならないとも限らない。
ひとつミスが起これば転落する怖れのある行軍だった。

車から降りると、今度は自分の足で上まで行かねばならないが、
前は雪、雪、雪。既に晴れてはいるものの
こんな山奥でひとつ道を間違えば遭難する可能性もある。

だが、その雪の中に家内が「人の足跡」を見つけた。
その足跡を頼りに、元宮のある方を目指してひたすら歩いた。
「こんなに遠かったか?」と途中くじけそうになると
「カラン、カラン」と鐘の音がする。

「ああ、着いたか」と思ったら、目の前に少し空間が広がってきた。右には宇佐の元宮。それと向かい合うように八坂神社の元宮がある。音のする方へ行くと、そこは八坂神社だった。

でも誰もいない。
家内は走って追いかけたが、誰もいなかったようだ。
そこでまずは八坂さんにお参りして参道から出ると、
宇佐神宮の元宮の前を、この雪のなか箒で掃き清める老人に遭遇した。

「こんにちは。」

挨拶をすると老人は

「今日みたいな日は誰か来るかもしれないから、滑っても困るしねえ。雪をこうして滑らないように整備しているんですよ」

と言った。

私たちは本懐を遂げた形でお参りを済ませたが
老人はまだそこかしこで掃き清める作業に余念がない。

「さようなら」

挨拶をして老人を後に残してその場を去った。

考えてみると、タクシーに乗せてあげればよかったかな、と思うのだが、そんなタクシーの今度は下り坂。
何が起こるかわからない。
もう一人の命も巻き添えにするわけにはいかなかった。
私たちには、今度は「下り坂」が待っていた。

「行きは良い良い、帰りは恐い」

とおりゃんせじゃないが、本当に帰り道も背筋ゾクゾクで
運ちゃんは必死の形相。
無事にお元山を降りると、思わず
「生きててよかった」を繰り返した。

ふと、家内が「あの御爺さん、神様だよね」と呟いた。

「目がお狐さんみたいだった。」

そうなのかもしれない。
あるいは修験行者の方なのか。
あんな山奥で、誰も来るはずのない場所を掃き清めて
「誰かが滑ったら困るので…」なんてことはないだろう。
人のかたちをした神様をみたのだろうか。
それとも隠徳を積むための修行だろうか。

山から下りると身体が冷え切っていた。
運ちゃんには御礼をして
すぐさま田舎うどんに喰らいついたのは言うまでもない。
寒さと怖さに冷え切った身体だったが
こころは満ち足りてポッカポカだった。

御礼参り。してみるもんだ。
きっとこんな不思議な体験、二度とできないだろう。
でも命懸けの強行軍になるなんて、そんなつもりは全くなかった。

思えばあの運ちゃんも、あの爺さんも、
二人とも準備されていたのかもしれない。
そう思うと、改めてご縁の不思議を感じる旅だった。

光に向かって全力疾走 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

画像の説明
みなさん、こんにちは。

村中大祐です。

今日は寒いですよね。

毎朝散歩に行くと、まずは必ず300メートル走を

わが社の宣伝部長Giorgio(ジョルジョ)君とやるんですが

最近はあやつめ、なかなか本気で走ろうとしないんです。

走り始めはこちらがリードして、「しめしめ」と内心思っていると

300メートルぎりぎりで、ダッシュで抜かれるパターンが続いて、

悔しい思いをしています。

明日はどうなることやら。

寒い日に全力疾走はなかなかいいものですが、

貴方は全力出し切ってますか?

毎日ちょっとだけ、全力を出す訓練をするのって

結構習慣にすると良いかもしれません。

お蔭でお腹の肉がとれました。

数値も万全。なんてね。

ところで……

昨日フェイスブックに出した記事が

何と2000人以上の人の眼に触れているようで

ちょっとびっくりしています。

昨日の記事、転載しますね。

昔まだ中学生の頃、12〜3歳でしょうか、音楽に「光」を見ました。
これは私の原初的な体験であり、その光を追いかけて音楽家になりました。今でもその時の感覚を忘れずにいられるのは、幸せなことです。

その「光」を教えてくれたのはルービンシュタインのこの映像です。
https://www.facebook.com/muranplanet/posts/871846592957437?notif_t=like&notif_id=1486426148150249
この映像の始まりの旋律を聴いて見てください。

私には優しい陽の光が、燦燦と差し込む様子が見えます。貴方にもきっと感じられるはずです。

中学生当時に何度もピアノで再現しようとしましたが、同じ「光」を得ることはできず、苦しみました。

大学生になった時、それが可能になりました。それで満足したのかもしれません。ピアノはやめて、指揮者をやることにしました。

最初は本当に指揮なんて出来るのか?不安でしたが、結局「音楽に何を見たか?」だけが大切だったようです。

指揮者としてイタリアでデビューした後、英国人のマネージャーと仕事が始まります。何と彼はルービンシュタインのマネージャーでした。

今思うと、この曲はメンデルスゾーンのピアノトリオ。人生の不思議を其処かしこに感じます。

自分の人生を歩んで行くと、不思議な出会いに遭遇することがよくあります。

そんなシンクロするご縁に不思議を感じながら、ひとつひとつの出会いに感謝を込めて創り上げたCDが出来上がりました。

村中大祐指揮Orchester AfiAの新譜、

メンデルスゾーンの交響曲第4番&第5番が、3月3日発売決定です。

先行予約のプレゼントをゲットする場合は、
cd@afia.infoまで!
2月6日より先行予約開始です!

薔薇の花束 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

我が家には今二つの花が活けてある。
ひとつはUさんからのバラの花束。
そしてもうひとつは外語の後輩からもらった花束。
どちらも美しい。

花には贈る人のセンスや気持ち、背景などが写し出されるような気がする。
僕は花が好きだ。
よくオーケストラの人に「ここはお花畑」などと言ってイメージを伝えようとするが、
多くの方は笑っておられるかもしれない。

でもそれは昔からのこと。
気がついたら音のイメージと花は僕の中で結びついていた。
はっきり記憶しているのは、ルーマニアのあるオーケストラとの一シーン。
その時からこの表現を使うようになっていった。
でももちろんこの表現、そんなに使える場所はないのだけれど。だから大切にしまってある。
 
花で言えば、ヨーロッパではいい花にあまり出会わない。
でも僕の友人のマリルは花のデコレーターで、歌劇場を白と緑で覆っていた。
テアトロ・マッシモの再開記念1997はマリルの演出で素晴らしいものになった。
この二色はシチリアの色。
これにレモンが加われば、完成する。
おそらく劇場内の光をレモンと見るなら、白(ジャスミン)と緑で充分なのかもしれない。

花で印象的なのはアメリカ映画のオープニング。
題字を出すまでの数分間によくつかわれるような気がする。
アメリカの花の演出は、エンターテイメント性が強く、すっごく華やかだしきらびやか。

日本の花はおそらく世界で一番品質がいいのでは?
そしてお花屋さんで作られる花束は、日本が最高のセンスだと思う。
でもこのセンス、とても和風でアメリカのエンターテイメントとは少し趣を異にしている。
京都でいつだったか友人宅に招かれたとき、タクシーで京都駅から最寄のお花屋さんに連れて行ってもらった。
花束のプレゼントは喜ばれるから。
出来上がったものは、和紙や和風の紐を使ったアレンジメント。すごく素敵だった。

今日ある素敵なワンシーンに出会った。
ビデオに残っていたNHKスペシャルの思い出の場所スペシャル。

大好きな平原綾香の歌とともに始まったが、
そこであるカメラマンの伊勢神宮に対する感想ドキュメントが印象に残った。
彼女はアメリカのグラウンドゼロを見て、
アメリカ在住邦人としてのアイデンテイテイを失い、
その後聖域巡りをして世界中を回る。

最後にたどりつくのがお伊勢さま。
お伊勢さまで感じる「見えないものの大切さ」を、グラウンドゼロの「見えるだけの世界」と対比してみせた。
 
音には立ち上がる霊気のようなものがある。
音楽家はセンシビリテイさえちゃんとしていれば、
それを見て生きていける人が多いはず。

われわれ音楽家は「見えないもの」を扱う存在だ。

私が先日伊勢めぐりを敢行したときに見たものは、
実は宮崎駿さんの「千と千尋」さながらの光景だった。
多くの人が神殿に押し寄せていく。
でも土地から感じられる磁場はものすごいものだった。

浄化の作用。

エネルギーは上へ上へと昇華していく。
カメラマンの方は「そこに大木があるから」と強調するが、
僕の眼には気のベクトルが天へと向かうように見えた。
これは音が立ち上がるときの光景とどこか似ている。
 
カメラマンさんは、NHKの番組のなかで日本の1300年続いた遷宮の儀式の中に「見えないもの」がある、と言っていたけれど、ハコモノ行政だったり点数至上主義だったり、今の日本のあり方や方向性とは対極にある。

「見えるもの」に、果たして残るものはあるのだろうか?すべてのものは朽ち果てていく。

でもエネルギーは人の心に宿り、その瞬間や場を共有できれば、魂が癒されて、時は止まり、永遠を共有できる。

そう、見えないものって大切。音楽も消えてしまうからこそ意味があったりする。

形あるものを僕は別に否定しないけれど、
形から入るってことをめったやたらに振り回すのは、もう時代が要求していないかも。

目の前のチェコグラスに入った薔薇は、合わせて20本。
一本ではパワーにならないと思うけれど、これだけたくさん集まっているからこそ、大きな力になっている。

一本ではダメでも、たくさんが寄り合えば、
人を癒すほどの力を得ると思う。

ここがヒントですかね。