オタクのつぶやき⑫「知識は必要か?」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

わたしは10代から本格的にピアノを弾き始めたが
そのときの音楽についての捉え方は
今でもきっと変わらないと思っている。

10代のわたしは
音楽は「精神の流れだ」と
本気で信じていた。

それは間違っていない。
いや、それどころか
音楽って色々なジャンルがあって

たとえばロックンロールだって
立派な精神の流れだ。

ミック・ジャガーが大好きだったが
彼がストーンズではなく
80年代にソロアルバムを出したとき

その格好良さに痺れたもんだ。
ロッド・スチュアートだって。
おっさんがイカスパンツを履いて
舞台に登場すると
カッコイイわけだ。

それは何が素晴らしいって
スピリット、つまり精神なのだ。

だからベートーヴェンだって
革命的なロック精神を持って
時代を動かしただけでなく

その語り口のなかで
彼のまさに「精神」が流れているのを
時間の経過とともに
わたしたちが聴くということになる。

日本に帰るといつも感じるのは
相撲でも野球でもサッカーでも
あるいは将棋やフィギア・スケートでも同じだが
楽しみ方は色々といいながら
やはりコメンテーターがいて
知識を振りかざして
その博識ぶりを「権威付け」の証明に使う。

クラシック音楽でも同じ現象があって
まあ、黒田恭一さんとかは違うのだけれど
大抵は音楽評論家と言う人達が
ああだ、こうだとお話になられるとき、
知識がまず全面に押し出される。

そうすると面白い現象がみられるのだ。

Aさんも、Bさんも、Cさんも
皆違うはずなのに
同じような知識を共有していて
違うことを言うひとがいなくなる。

ベートーヴェンの英雄交響楽なら
ナポレオンの話について
ベートーヴェンが一度書いた献呈の文字を
楽譜から削除した話とか。

要は皆が大抵、同じ話をして
「これを知っていれば、あなたは英雄交響楽が
わかります」的な説明をする。

それを聞いて、相手も納得するらしいのだ。

つまり「型」を決める人間がいて
その型を探す聴衆が大半だということ。
安心したいわけだ。

「これが通常の解説です。」
と言われた解説を聞いて
分かった気になれるというのは
ある意味素晴らしい。

でも私にその解説を求める人が居るのは
苦痛以外の何物でもない。
だから私は専門家というのが
大嫌いなのだ。

私なら私にしか話せないことを
あなたに伝える。
それが私の存在価値なのだ。

だから人と同じ話をしても
それを私が「どう思う」か、
私にとって「つまらない」や「面白い」を
語ろうとする。

だから音楽を聴くあなたにも
あなたにとって「どう感じられるか」や
「つまらない」「面白い」を
語ってもらいたい。

自分なりの感覚で「感じて」もらいたい。

型を決めて満足するのは
もうやめにして
自分を自由にしてやってほしい。

そのために音楽がある。
だからロックでもジャズでも
なんでも一緒だ。

音楽は自分が感じたところを
表現する場所。

演る側が感じたものと
「同じじゃなく」感じてほしい。
そのために音楽ってあるのだから。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

オタクのつぶやき⑪「1つよりも2つ、2つよりも3つ」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

なかなか理解が難しいことを
これから語るから
わからなくても
驚かないでほしい。

分かる貴方は天才かもしれない。

分かってもらえれば
すごくうれしい。

さて。

ドイツ語には方向性がある。
ベクトルと言った方がよさそうだが。

そのベクトルがハッキリ見えたお蔭で
他の言語にも応用が効いた。

つまり英語やイタリア語など
他のヨーロッパ言語を使うときに
ドイツ語にハッキリと見え隠れする
ベクトルを意識するようになり
言語脳にある種の「ベクトル」が
常駐するようになったわけだ。

同じようなことが
音楽にも言える。

中学のときにチェロを学んだ。
母親が声楽家のくせに
大のチェロファンだった。

当時中学のオーケストラで
チェロが足りない事情から
音楽の先生から口説かれて
始めたまでのこと。

正直紹介頂いた先生のメソードが
ポール・トゥルトゥリエというフランス人の
ちょっと変わったメソードだっただけに

トゥルトゥリエの音が気に入らない私は
どちらかと言えば
アンドレ・ナヴァラや
ピエール・フルニエの奏法を学びたいと思っていた。

でも就いた先生の手ほどきは違って
子供心に「不自然だ」と思いながら
しょうがないから言うことを聞いていた。

但し、ひとつだけ役に立った言葉がある。
「トランペットの響きは
近くで鳴るのはダメで、遠くのお客に届くのが
本当の響きだ」という言葉。

何故チェロを持ち出さないのか?
ちょっとわからないのだが
既に他界されているから訊くこともできない。

でもこれは「響き」ということを
考えるうえで、10代前半の子供には
ある意味画期的な言葉だったように思う。

この言葉のお蔭で
響きを作る、という作業が楽しくなり
不自然な奏法で学ぶチェロよりも
自然に自己流で学ぶピアノに向かいながら
むしろピアノに集中するようになる。

こうしてチェロはうっちゃっておき
ピアノの練習に明け暮れる日々が始まった。
つまりはドイツ語を学ぶことで
他の言語に習熟するようになるのと
同じ効果が出始めたわけだ。

貴方にも同じような経験はないだろうか。

私の場合、こうして
「響き」を考え出すと
もう寝ても覚めても「響き」ばかり。

当時まだ現役だったVladimir Horowitz
ホロヴィッツのテクニックというか
「響き」の妙を
どうやって盗むかが課題となった。

音をいかにずらすか。

それが20代半ばまでの私のピアノにおける
大きな課題となったわけだ。

チェロのお蔭でピアノで
音をずらす、という発想が生まれる。

ドイツ語に「方向性」があったお蔭で
西洋の言語の奥に潜む
何か重要な意識のようなものが
理解できるようになったりする。

日本人はひとつだけに収斂させるのが
得意というか、好きというか。

でも多分何事も少しだけ見方を変えてみないと
本質が見えて来ないのではないか?

1つでなく、2つ。2つでなく3つの考え方が
人の幅や見識を深めるのは間違いないと思う。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

オタクのつぶやき⑨「ラジオは世界をつなぐ」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

「昔、ビートルズの全曲をエアチェックして
カセットで何度も聴いたんですよ。
音は良くないけれど、それが素晴らしい
音楽体験になりました。」

古民家で中華料理を食べ乍ら
昨夜素敵な紳士と初めて食事をしたら
ひょんなことから
エアチェックの話題になった。

「村中さんも、やっぱりオタクですね。」
どうやらわたしたちはオタクを自慢しているようだ。

彼曰く、ある時期FMかAMか知らないが
ビートルズの全曲放送の快挙をやり遂げた
すごい局があったそうだ。

ビートルズのため。
音楽のため。
一種の興奮状態になった彼は
カセットを裏返しながら
音量やノイズをつまみで調整しながら
ラジオの前に陣取って、
2週間も眠れぬ夜を過ごしたという。
そしてビートルズの全曲録音が出来上がったそうだ。

そんな経験はあなたにもあっただろうか。

かく言う私の活力の源も
NHK-FMをエアチェック、
つまり夜7時15分ごろから始まる
海外の演奏会を録音することだった。

私は当時中学から高校にかけて
6年間バレーボール部に所属していたのだが
その練習が終わると
帰宅してからの日課は以下のとおりだ。

帰宅。
牛乳2リットルのラッパ飲み。
約2時間ピアノに向かう。
夕食。
その間カセットテープを回して
「海外の演奏会」録音。
夕食後、演奏会を聴く。

これを毎日のように繰り返す。
そこで必然的に出来上がるのは
カセットテープの山であり
それを整理したノートが宝だった。

目的はたったひとつ。
ライブ録音の聴衆が醸し出す臨場感。
緊張感。その異様なまでの雰囲気。
それを味わうこと。

音の奥底に流れる精神を感じること。

これに尽きた。
10半ばの若者は、ある意味そこに
自分の人生の意味を見たわけだ。

今でも思いだすのは
クラウディオ・アッバードが
当時できたばかりの
グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラを
指揮した
マーラーの交響曲第3番の美しさ。

夏の交響曲と言えば
この曲がまさに代名詞で
Der Sommer marschiert ein.
直訳すると
「夏が行進してこちらに向かって来る」

そんなまるで夏の風物詩の音楽を
20代前半の若者たちが
魂を合わせて謳いあげる。

忘れもしない。
私が外語大学2年のとき
ピアノのヨーゼフ・ディヒラー師の
ウィーンの夏期講習に行ったが
初めての外国で
最初に降り立ったウィーンで
ある音楽家の集団に出会った。

チェロのケースを持った男性に出会い
声を掛けてみると
グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラの
メンバーだと言う。

「これからクラウディオ(アッバード)とツアーに出るんだ。
君は音楽家?将来共演できるといいね。」

ラジオで出会った音は
この青年の音でもあったものだから
びっくりして
感激して
ラジオは世界をつなぐと
本気で思った。

素敵な一日を。
横浜の自宅から
村中大祐

オタクのつぶやき⑧「プロ野球からクラシックへ」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

昔、わたしが幼い頃のプロ野球で
阪神の江夏豊投手がオールスター戦で
強豪打者をばったばったと
薙ぎ倒したエピソードがあった。

その時の観衆は興奮もひとしおだが
同時に観ているだけで
物凄い緊張を強いられる、
そんな場面だったように思う。

野球は投手が球を投げると
キャッチャーのミットに球が入るか
あるいは打者がその球を打って
動きが一端止まるわけだ。

その後また投手が球を投げて
毎回動と静を繰り返す。

だから観客はその間
緊張して息を止める場もあり
一端ファールボールとして
打者が打った球が
観客席に飛ばされると
その瞬間に観客の止まっていた息が
開放されることになる。

みんなが息を合わせる。
それが得意なのは
日本人の特徴だと思う。

だから空気を読むとか、そういう話が
普通に共通認識となるのかもしれない。

意外なことに
ヨーロッパの文化のなかで
その空気感、つまり
みんなが息を合わせるということは
あまり無意識で行われていないように思う。

みなさん、ばらばらで
でも結構ゆったり息をしている。

日本の社会は
例えば相撲でも同じだが
満場の観衆が
ひとつの空間で息を合わせる。

でもそれは意識的ではない。
無意識の世界だ。

言わなくてもわかる。
これを文化というのだろう。

但し、その集中力は
野球や相撲といった
割合短めの繰り返しに対して
極めて効率的に発揮されている気がする。

でも上手な人達になると
30分、下手すると1時間も
この集中を持続できるようだ。

クラシック音楽の演奏家たちが
海外からやって来ると
決まって日本の聴衆を賛美する。

「日本にやってくると
自分が思っている以上に
能力を発揮できる」

確かにホールの音響は世界一だろう。
あらゆる設備・条件が完備している。

でもおそらく
ヨーロッパ人たちが
もっとも感じているのは
日本人の聴衆が醸し出す
無意識に集中する空間だと思う。

そこに自分の無意識もアクセスして
いつのまにか催眠状態のようなかたちとなり
良いパフォーマンスができるのだろう。

良い面ばかりを今日は話したが

実はそこから起こる弊害もあって
それが一番わたしたちの気を付けるべき
おおきな問題点のように思う。

それについては
また今度。

素敵な一日を!
横浜の自宅より
村中大祐

追伸:2018年はドビュッシーの没後100周年。
イタリアのテアトロマッシモ・ベッリーニ(ベッリーニ歌劇場)の定期演奏会で、この100周年記念公演を指揮することになりそうです。

1 January , 2017, Catania (Italy) New Year Concert in Teatro Massimo Bellini

イタリアのカターニア・テアトロ・マッシモでのニューイヤーコンサートは、満場の聴衆のスタンディングオヴェーションを幕を閉じました。2018年の再演は4月、ドビュッシーの没後100周年記念公演2公演を指揮します。

村中大祐指揮Orchestra e Coro del Teatro Massimo Bellini

●ドビュッシー:「夜想曲」
●ドビュッシー:「選ばれた乙女」
●ドビュッシー: 交響詩「海」

以下2017年1月ニューイヤーコンサートの批評です。

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Crtics about the New Year Concert in Teatro Massimo Bellini di Catania

Standing ovation e diversi minuti di applausi
al termine del Concerto di Capodanno
al teatro massimo Bellini di Catania.

Non basta però questa sintesi per dire della partecipazione,
del gradimento del programma e dell’esecuzione dell’orchestra
diretta dal giapponese Daisuke Muranaka
con il coro diretto da Ross Craigmile….

http://www.hashtagsicilia.it/spettacoli/travolgente-concerto-capodanno-al-massimo-bellini-4824
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オタクのつぶやき⑦「異様を求めて」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

私が経験した中でも
特に心に残った公演というのは
どちらかと言えば室内楽が多い。

アシュケナージとパールマンがやった
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタの夕べ。
リヒテルやホロヴィッツ、ホルショフスキーに
アラウ、ロストロポーヴィチ、そして
フィッシャーディースカウのリサイタル。

これらは素晴らしい音楽で
その夜はたいてい興奮して眠れなかった。

でもオーケストラについては
当時たくさん聴いてはみたものの
そこまで感激しなかった。

カラヤン指揮ベルリン・フィルに行くと
まだ20代半ばのアンネ・ゾフィー・ムッターの弾く
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に
むしろ興味を持った。
その音のつややかさの方が
むしろ魅力的だった。
若い頃のムッターの音は本当に美しかった。

クライバーの「ボエーム」はラジオで聴いた方が
より鮮明に記憶に残った。

アッバードの「ヴォツェック」は
映像で観た方が強烈な印象だった。

テンシュテット指揮ロンドン・フィルの
ワーグナーと「エロイカ」にも接してみたが、

特に今は得意な「英雄」でも
当時の私には、ちと難しすぎた。

どちらかと言うと
オーケストラやオペラといった
大がかりなものは
やはり楽しむためにも
その人なりのタイミングが
どうしても重要な気がする。

私の場合は
NHKのラジオで「海外の演奏」として
聴いていたオーケストラのイメージを
ライブで追体験しているような感じで、

その場で実際に楽しめたか?と訊かれれば
感覚的な入り口は、当時はまだ
見つからなかったのではないか、
と言う気がする。

つまりピアノやチェロ、声楽などは
ライブに感激できたが
オーケストラが入ると
これはもうラジオの方が
断然素晴らしく聴こえた。

記憶を辿っていくと
最初に好きになったのは
ドヴォルザークの交響曲第8番「イギリス」を
ジョージ・セル指揮クリーブランド交響楽団で
聴いたときだ。

自然の雰囲気に魅了された。
最初でいきなり鳥の声が聴こえてきて
催眠術にかかったように
交響曲全曲が短く感じられた。

ちなみに最初に録音した
オヤジのテープレコーダーで録った
ベートーヴェンの第九は

初録音、生中継というタイミングで
充分にイヴェント性の高いものだったが
演奏については
「荘厳な感じ」以外のイメージは
なかったように思う。

私が最初に牧神の午後の前奏曲を聴いたのは
小澤征爾さんがウィーン・フィルを
指揮した定期演奏会で
確か当時ショパンコンクールで
物議を醸したルーマニア人ピアニストの
イーヴォ・ポゴレリッチが
ショパンのピアノ協奏曲第2番を弾いた時だ。

私はピアニスト志望だったから
イーヴォの弾くショパンの2番目当てだったが
その前に演奏されたドビュッシーを聴いて
「身体が浮き上がる浮遊」を
音楽で初めて体験した。
これもラジオの成せる業だ。

そしてもうひとつ
重要な公演は
日本でカール・ベーム指揮による
ウィーン・フィルの最後の演奏がなされ
ベートーヴェンの2番と7番を演奏したときのことだ。

この時わたしは日本の聴衆の
「異様」とも言える雰囲気を
ラジオから感じ取った。

その異様さが
その後の私の音楽体験を
左右するものになろうとは
10代半ばの私には知る由もなかったが

この異様さとは
「何かが違う!」という感覚であり
ネガティブな意味ではないことを
付け加えておく。

音楽が巻き起こした現象自体は
「幸せな感覚」であり
その幸福感を求めるあまり

その場に居合わせた聴衆は
「異様」な感じのエネルギーを
集団的に醸し出していたはずである。

それは大きなエネルギーの塊となって
ラジオの向こう側にまで
ひしひしと届いてきた。

私はエアチェックで
この感覚を楽しみ
この感覚を持った演奏の「場」を
探し求めるようになったのである。

私のオタクへの旅は
何よりもまず
この「異様」を求めて
スタートしたのだった。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

追伸:
今書き終わってから思いだしたが
唯一オーケストラで
「しびれた」公演があった。
ロリン・マゼールが指揮した
ミラノ・スカラ座管弦楽団による
プッチーニの「マノン・レスコー」の
間奏曲だった。
これは本当に弦楽器の音の美しさに
感動して夢見心地になった覚えがある。
大学生の頃だろうか。
後にこの曲を自分が指揮するとは
夢にも思わなかった。

ニュースレターNo.2では
付録CDで「マノン・レスコー」が
聴けます。
年間購読は10日まで素晴らしい特典つきです。
興味があれば
詳細・お申込みはこちら↓から。
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オタクのつぶやき⑥「オタク気質始動」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

最高の音楽を無料で学べる。
これは素晴らしい環境だと思う。
これについては、NHKの功績は大だ。

ちなみにヨーロッパでテレビを見ていると
それほどクラシック音楽の放送は多くない。

但しラジオは充実している。

羨ましいくらいの充実ぶりは
過去の演奏などを
さまざまにアレンジして
一晩中流している曲もあるくらいだ。

放送局には特殊なネットワークがあるらしい。
例えば私がNHKで指揮した演奏を
しばらくするとイタリアやドイツで
ラジオの放送局がこれを放送していたりする。

逆にドイツやオーストリアの放送局、
例えばバイエルン放送協会、オーストリア放送協会
といったドイツの放送局が提供する音源が
当時から毎晩のようにNHK-FMで放送されていた。

ザルツブルク音楽祭やウィーン、ベルリン、ケルン
ミュンヘン、パリなどで行われた公演が
時をおかずして放送されると

私は録音機器の前にへばりついて
この放送をカセット・テープに録音するのが
いつしか日課となった。

そしてこのテープが増えるにつれ
FM雑誌などで録音時間や
演奏曲目などを確認し始め

最終的には録音データを収集しながら
ノートに記載して整理を始めたのだ。

ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36(30’24”)
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1979年8月20日、ザルツブルク祝祭大劇場
オーストリア放送協会提供のテープ)

と言った具合だ。

それが鉛筆やボールペンで
徐々に増えて行くのを見るのは
壮観で気分のいいものだ。

こうやって私のオタク気質は
一種独特の高まりを見せ始めたのだった。

今日はついでにここでご紹介した作品の演奏を
聴いて頂こうと思う。
2014年にクラウディオ・アッバード氏他界後に
追悼演奏として東京の浜離宮朝日ホールで
演奏したものだ。

お楽しみ頂ければ幸いだ。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

追伸:

好評につき、7月10日までキャンぺーンを延長します。

ニュースレターNo.2が出来上がった。
テーマは「カラヤンの仕事術」。
カラヤンについて語られた証言の多くは
彼が指揮者だけでなく
経営者としても十分にその才能を発揮していたことだ。
多くの人間がカラヤンをリーダーとして
認知していたことは
衆目の一致するところだった。

その彼の仕事の仕方。
交渉の仕方は極めて刺激的で
実は私も、そこから多くを学んできた。

例えばカラヤンがポートレートを
写真家に撮らせる際、気を付けていたことがある。
それは自分の顔を撮る角度だ。

彼は決して気に入らない写真は許可しなかったし、
何より「自分の顔をどちらから撮影するか」
について、舞台の下手から撮影することを
指定してきたという。(顔の左側から撮影することになる)

このエピソードでも思うのは
カラヤンという人間は
自分の弱みや強みを把握しながら
その強みにフォーカスすることを
徹底した人だったということ。

彼から学べることには
アントレプレナーや個人事業者、
そして自分の城を守ろうとする社長たちが
知っていて間違いなく有益なものが多い。

そして何より
マーラー以降の指揮者の系譜から見えてくるのは
カラヤンを起点に
カラヤン以前とカラヤン以降で
リーダーの形に大きな変化があったということ。

それは取りも直さず
世界の今後を占う大きなカギともなりうるということ。

指揮者の動向に注目するのもいいが
むしろそこから今後の世界が読み取れる方が
よほど興味深いというもの。

そんなお話を続けていくつもりだ。
創刊号からお読みいただける年間購読には
30名様先着のみ限定で以下の2つの特典が用意されている。

ひとつは年6回の購読が6,000円お安くなる話。

もう一つは
村中大祐指揮Orchester AfiAの第一回演奏会のCD-Rが
プレゼントされるということ。
こちらはAfiAでは5000円で販売しているもの。
その記念すべき浜離宮朝日ホールでの公演ライブ録音を
年間購読の方に特別にプレゼントする企画。

詳細・お申込みはこちら↓から。
https://spike.cc/shop/user_956153619/products/Swfse5oJ

別売りはこちら↓からどうぞ。
https://spike.cc/shop/user_956153619/products/vuMVP1KS

オタクのつぶやき⑤「無料の凄み。NHKさんありがとう。」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

始めに:好評につき、7月10日までキャンぺーンを延長します。
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ニュースレターNo.2が出来上がった。
テーマは「カラヤンの仕事術」。
カラヤンについて語られた証言の多くは
彼が指揮者だけでなく
経営者としても十分にその才能を発揮していたことだ。
多くの人間がカラヤンをリーダーとして
認知していたことは
衆目の一致するところだった。

その彼の仕事の仕方。
交渉の仕方は極めて刺激的で
実は私も、そこから多くを学んできた。

例えばカラヤンがポートレートを
写真家に撮らせる際、気を付けていたことがある。
それは自分の顔を撮る角度だ。

彼は決して気に入らない写真は許可しなかったし、
何より「自分の顔をどちらから撮影するか」
について、舞台の下手から撮影することを
指定してきたという。(顔の左側から撮影することになる)

このエピソードでも思うのは
カラヤンという人間は
自分の弱みや強みを把握しながら
その強みにフォーカスすることを
徹底した人だったということ。

彼から学べることには
アントレプレナーや個人事業者、
そして自分の城を守ろうとする社長たちが
知っていて間違いなく有益なものが多い。

そして何より
マーラー以降の指揮者の系譜から見えてくるのは
カラヤンを起点に
カラヤン以前とカラヤン以降で
リーダーの形に大きな変化があったということ。

それは取りも直さず
世界の今後を占う大きなカギともなりうるということ。

指揮者の動向に注目するのもいいが
むしろそこから今後の世界が読み取れる方が
よほど興味深いというもの。

そんなお話を続けていくつもりだ。
創刊号からお読みいただける年間購読には
30名様先着のみ限定で以下の2つの特典が用意されている。

ひとつは年6回の購読が6,000円お安くなる話。

もう一つは
村中大祐指揮Orchester AfiAの第一回演奏会のCD-Rが
プレゼントされるということ。
こちらはAfiAでは5000円で販売しているもの。
その記念すべき浜離宮朝日ホールでの公演ライブ録音を
年間購読の方に特別にプレゼントする企画。

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【編集後記】
画像の説明
From:村中大祐

日本で私がひとりでやっていたことが
ヨーロッパの音楽教育と直結していた、
というお話は昨日聞いて頂いた。

つまりそれは、本質論同士の間に
ボーダーはない、ということなのだ。

こう理屈っぽく言うとシンプルだが、
実際にこれを実行しようと思っても
そう簡単にはいかない。

私は10代の前半から
ヨーロッパからやって来る
来日アーティストと
日本人アーティストの演奏に
微妙な違いを感じて
その「違和感」に疑問を持った。

同じ西洋音楽なのに
何が違うんだろう。
よくわからないけれど
何かが違う。

これはヨーロッパが本場だから、
といった短絡的なものでなく
空気感とでも言うものだった。
その違和感はその後も私に
容赦なく付きまとうことになった。

私は「音楽は趣味ならいいが
絶対に仕事にしてくれるな」という
家に生まれ育った。

「サラリーマンにはならないで。
でも音楽家には絶対ならないで。」
そう言われて大きくなった。

幼い3つの頃は声楽家の母親から
ピアノの手ほどきを受けたものの
その後はピアノなんて練習が面倒で
友達と遊ぶのが優先。

近所の先生に習いに行くのも
練習なしのぶっつけ本番。
いつも指が足りなくなって
手を裏返してピアノを弾いていた。

絶対音感があったらしく
犬の散歩の際に口笛を吹きならし
それで口笛は得意になった。
(今でも仕事の現場で使うほど上手い。)

祖母~母と声楽を学んだお蔭で
私はボーイソプラノとして
素晴らしく美しい声が出た。
(小学校では合唱部に入って
この声は讃美されたが、これは
おそらく自分の最初の成功体験だった。)

そんな私が中学に入ると
最初に隣同士となった有田くんのピアノが
あまりに素晴らしくて
それからというもの
興奮してピアノに向かうようになった。

面白いのはそれからだ。

私は家にある楽譜を片っ端から弾き始めた。
昔は大っ嫌いだった練習をするようになり
学校の音楽教師に勧められて
チェロをやるようになると

チェロの練習が面倒で
更にピアノに傾倒するようになった。
チェロは音を作らねばならない。
その「音作り」が
ピアノに影響したのだと思う。

だが問題は先生だった。
先生の言うことに本質が見えないと
言うことがスッと
魂に語り掛けて来なかった。

そんなある日、カラヤンがやってきた。
ラジオで生放送が開始された。
東京の普門館での第九のライブだ。

オヤジは大阪外語の英語だったが
発音が悪く、発音を矯正すべく
録音マイク付のカセットレコーダーを持っていた。

オヤジは既に小学生のとき他界したので
その形見のカセットレコーダーは
私の自由になった。

ラジオの前にこのレコーダー・マイクを置き
カラヤンの指揮する第九を
オヤジの英語のテープの上に
録音してやった。

快感だった。
オヤジの下手な英語をかき消した快感か
それとも
第九という「異様な」雰囲気の音楽を
小さなカセットのなかに
閉じ込めた快感か。

いずれにせよ、これが快感と感じられて
エアチェックにはまったのだ。

そこから私のオタク歴は始まった。
NHKさん。ありがとう。
貴方たちのお蔭で
私の音楽はヨーロッパに繋がりました。

ハッキリ言って
何かヨーロッパのライブの音源は
雰囲気が違うのだ。

ホールの音響は別に日本でも同じくらい
素晴らしいものが
80年代に揃っていた。
大阪ザ・シンフォニーホール。
東京サントリー・ホール。
でも何か聴こえ方が違うのだ。

ビールやコーヒーを例にとろう。
仕事でイタリアやスペインを旅すると
不思議な現象に遭遇する。

同じイタリアでも
Cafe(カフェ)の味は街によって違う。
Capuccio(カプッチーノの略)も全然違う。
南のシチリアから
北のフランスにほど近いジェノヴァへ
プッチーニの仕事で動いていたとき
北西のジェノヴァで飲むカプッチョは
微妙に味が濃い。香ばしいのだ。
ポルトガルが近いからか、
スペインのマドリードなどで飲む味に近い。

ビールもおなじ。
イタリアのビールとスペインのビールは
味が全然ちがう。ビッラとセルヴェッサの違いか。

ドイツ・オーストリアと
チェコのビールの味の違いも同じ。

視覚が変わることも多少あるのだが
おそらくは
空気と水の違いだろう。

空気と水の違いは
食事や飲み物の味だけでなく
これは音にも影響する。

私の音楽観がラジオのエアチェックを通じて
非常に深まって行ったというのも

この空気感の違いを
音を通じて直感的に感じたからだ。

そこには全ての本質が出そろっていた。
しかも「無料で」。

わたしはこのエアチェックで
音楽を勉強したと言っても
過言ではない。

そこには決められた指使いも
何もない。
あるのはただ、純然たる音楽だけ。

手続きも理屈もない。
当時わたしは
音楽とは「精神のながれ」だと
本気で思っていて
そのままウィーンに行ったわけだ。

NHKさん。ありがとう。
視聴料ちゃんと払って
元はとれました。(笑)
いや、ラジオは無料だな。

素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

オタクのつぶやき④「自己流礼賛」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

From:村中大祐

私の場合、日本で独学でやっていた方法論が
実はウィーンで絶賛されていた。

あまりこれは言わないでおこうと思った。
何故なら音楽家の皆様から嫉妬がスゴイから。

日本人はいい加減に目を覚まさないといけない。

物事の「本質論」とは
要するに「自分がどう世界を観るか」であって
「人がどう観るか」を真似ることではない。

茶道などもそうだが
型から入ると「ラク」だと思っているなら
それは真っ赤な大嘘で

ある時期から「自分らしさ」を求められると
型に縛られて出られなくなる。

最初に型ありきではなく
最初に「自分の方法論」ありき。

そこから自然に型は削られて
生まれ出ずるものである。

日本人の教え方の順序はすべて逆。
昨今ではかなり改善されたとは言え
やはり「教わる」ことに変わりはない。

だが教わる以前に、盗むなら
それは自分のもの。

そう言う意味から言うなら
私が独学を基礎として
西洋音楽を学んだことは
何より「自分」とウィーンの伝統が
直結したのを目の当たりにして

自分のやり方・感じ方こそが
コアでなければならない

そう感じたのだ。

それは前回書いた「実体験」。
自分の体験として感じること以外にないのである。

私の場合、それはライブにヨーロッパの人たちの
演奏に接すること。
そして
FMのエアチェックだった。

画像の説明

昔FMのエアチェックについては
雑誌のインタビューに取り上げられたことがあるが
私が初めて録音したのは
カラヤン指揮ベルリン・フィルが演奏する
ベートーヴェンの第九を
オヤジの古い英語勉強用の機械で
録音することだった。

それが数年後にはオープンリールデッキへと
進化したのだ。

ここから私のオタク歴は
どうやら始まるらしい。

続きは明日。
素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

追伸:
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オタクのつぶやき③「情報収集、私の場合」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

私が苦手を克服するために取った行動が
情報収集であることは既に書いた。

だが情報を集めることには
ある種の情熱が必要だ。

人によってはインターネットで情報を収集する、
という人もいる。

だが私が苦手克服に直面した時代
インターネットなどはまだ存在しなかった。

じゃあどうやって情報を収集したのか?
また、それはどんな種類の情報だったのか?

私の場合。音楽家になりたかった。
ウィーンでの情報収集を分析するとこうなる。

1.世界で最高の音楽環境に居た。
ウィーン・フィル、国立歌劇場、
ムジークフェライン、コンツェルトハウス、
ザルツブルク音楽祭などに行き放題。

2.世界で最高の音楽環境には、
最高の図書館があった。
学校の図書館は素晴らしかった。
中でも大指揮者ブルーノ・ワルターの所蔵楽譜は
全て寄贈されていて、ために調べにいくと
指揮者のカルロス・クライバーと同席した。
ただ、街の区別に存在する図書館の
音楽関係の蔵書の量は
異様なほど素晴らしいものだった。
これはウィーンのウィーンたる所以。

3.多くの音楽家に出会える環境だった。
世界中で活躍している人たちや、
引退した大御所まで出会いは様々だった。

4.音楽の歴史が空気感の中に刻み込まれていた。
音楽が生み出された歴史的な場所がほとんど
この街にあるという事実は素晴らしいものだ。

5.Musikhaus Doblinger
(楽譜の店:ドブリンガー)
ウィーンでは誰もが知っている楽譜屋だ。
ここで中古の楽譜を沢山手に入れた。
既に音楽をやめた方の楽譜や
東ドイツ・チェコ・ハンガリーなどで出版されていた
安価の楽譜を手に入れることができた。

それはもう、問題なく情報が入ってくるわけだ。
でもこれは音楽の都ウィーンでの話だ。

それ以前はどうだったのか?

今思えば情報を入手するために
1.家にあった資料(親が持っていた楽譜の類)を見た。
2.雑誌を買いあさった。(「音楽の友」など)
3.ラジオを聴いてエアチェックをした。
4.図書館に行った。(上野文化会館の音楽資料室など)
5.銀座のヤマハの楽譜売り場で入手。
6.人との出会い(師匠や友人)を活用する。
7.海外からの音楽家の来日公演に足を運ぶ。

関東で得られる情報拠点(私の場合)は
だいたいこの程度だったと思う。

ウィーンでの資料集めはさておき
日本で資料を集めるとき
どれが一番役だったかと言えば

3.のラジオのエアチェックと
6.7.の人間や演奏との出会いだろう。

いずれも具体的な形というより
雰囲気みたいな、つまりは
手に入れることのできそうにない
空気感を学ぶことができたわけだ。

今思えば、この日本で得た空気感が
そのままウィーンに直結していたのが
正解だったのかもしれない。

ヨーロッパのホールで演奏された
最高の演奏家たちによる音楽を
自分だけのために聴きながら
余計な情報に惑わされず
純粋にそのすばらしさを信じて
疑わなかったのが
良かったのではないかな、と思う。

つまり情報にも真偽があるということ。
そしてどこで入手するかも重要。

本物の情報とは
やはり人がもたらしてくれるし
ありふれた話かもしれないが
本物にはやはり接してみるしかない。

そして自分の恩師にも
その昔言われたことだが
何をやるにも「世界最高の場所にいけ!」
というのはやはり本当だったと
今になって痛感するわけだ。

ただ、そういった
人がもたらしてくれる恩恵とは別に
当時10代の私にもたらされていた
本物の音楽との出会いとは
演奏家を聴きに行く以外はすべて

無料で毎日のように放送されている
NHK・FMの海外コンサート録音を
「エアチェック」するときに
もたらされていたように思う。

ここから私のオタクの時間が始まるが
それは明日からのお楽しみ。

素敵な一日を。
横浜の自宅から
村中大祐

追伸:
ニュースレターNo.2ができました。
カラヤンの仕事術。
評判良いようです。

やはりカラヤンと言う人間は
「叩き上げ」だったのですね。
それを克明に書いてみました。
連載は続きます。それでは。
ご興味があれば
ニュースレター
↑こちらからどうぞ。

オタクのつぶやき②「器用の損、急がば回れ」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

自分の勝ちパターンを知ることは
意外に難しいのかもしれない。
その証拠に多くの人の勝ちパターンと言えるものは
大抵似たり寄ったりで
オリジナルと言えるようなものを
聞いた試しがない。

私がこれまで出会った
外国で出会う人達の勝ちパターンの多くは
オリジナルなパターンが多いように感じる。
彼らは総じて人の真似をしたがらない。
自分は自分、という境界線がハッキリしている。

でも誤解しないでほしいのだが、彼らも
人の真似をしたくないワケではない、と思う。
だが残念ながら、それほど器用ではないのだ。

つまり真似したくても「できない」から
自分のやり方で「やるしかない」のだ。

そうなると、必然的に自分のやり方を見つけ
それを定着させるために
七転八倒することになる。

でもそれが良いのだ。
そこで自分の要素を一通り卓上にひっくり返して
全体を俯瞰する立場を取れるわけだ。

器用さというものの特徴を考えてみたとき
ポイントを抑えるのが上手なことや
時間があまりかからなくても
物事を習得できる点などが挙げられる。

でもそれは利点ばかりではないように思う。

不器用な人間が直面し、解決してきた問題を
仮に器用な人間が一生知らずに生きるとなれば
それは豊かさと言えるのだろうか。

つまり器用な人が気が付かないところに
不器用な人が気が付くことができる、ということだ。

それを私は「人間的な広がり」と解釈することにしている。
(賛否両論あるだろうが。許せ。)

つまり私が言いたいのは
幅がある人間性というのは
やはり多少の不器用さから来るのではないだろうか?
ということだ。

だから自分の不器用さを愛すべきだ。

自分らしさとは、人よりできる所だと
思っている人が多いと思うが
私はそうは思わない。

むしろ人より出来ないところこそ
愛すべき自分の「らしさ」があるように思う。
それを私はInside Out、つまりひっくり返す、
あるいは絞り出す、という言葉で表現する。

有能ほどつまらないものはない。
むしろ我が無能さの奥に隠れた「味わい」こそが
自分を人と違う世界へと導いてくれるのだ。

器用の損とはそういうことなり。
急がば回れである。

素敵な一日を!
横浜の自宅より
村中大祐