プッチーニの「マノン・レスコー」より第2幕をどうぞ。 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

プッチーニ「マノン・レスコー」より第2幕の抜粋。
テアトロ・マッシモ1999年の舞台。

練習なしのぶっつけ本番の懐かしい映像です。
この公演は大成功に終わり、イタリアの新聞が「プッチーニが望むような演奏だった」と当時絶賛してくれました。

このことがきっかけで東京の初台の新国立劇場に招聘され、日本でのモーツァルトの「魔笛」でのデビューとなりました。

ジュゼッペ・シノポリ氏がローマに来られて、ローマ大学で考古学の博士号を取得するため、ついでに歌劇場の芸術監督になり、劇場を総入れ替えしたことから、文化庁から派遣されていた当時の私は、研修中のローマ歌劇場から理由なく追い出されたわけです。当時現地の高名な作曲家フランチェスコ・ペンニージなどがシノポリ氏を知っていたため、日本から送られた若い人材を締め出すのはやめたほうがよいのでは?という直筆の手紙を書いてくれたのですが、それも(in vano)ダメでした。

なんと!そこで奇跡が起きるのです。以前「こうもり」で仕事をしたことのあるパレルモに打診すると、当時の首席指揮者が私の評判を楽員から聞いて、「ヴォツェック」のアシスタントに起用してくれたのでした。

その彼がダブルブッキングで最終日のマノンの公演を指揮できず、このチャンスが天から降ってきた、というのは、非常に不思議なことです。しかもこの「マノン」、後でわかったことですが、東京の新国立劇場との共同制作だったのですね。

でも経験のある方ならお分かりのように、人生は何かを手放すと、新たに何かを与えるのがその節理のようです。こういった不思議をこれまでに何度も体験しました。
人生の不思議を感じます。

世界で活躍するオーケストラ指揮者が語る「ボーダーレス時代のリーダーシップ」②-6 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

もちろん、技術を磨いて美しい音楽を間違いなく演奏できるのは結構なことです。しかし、その上に、自分が音楽の中に発見したメッセージや、独自の美学、世界観をしっかり盛り込んでいかない限り、いくら演奏技術が巧みでも、音楽は決して生きたものになりません。

その問題を解決するには「天から見つめる視点」、つまり、俯瞰的に物事を捉える視点が必要になります。自分と他者の関係性を超えるのです。それによって、音楽表現に絶対に欠かせない「世界観」が抜け落ちてしまうのを防ぐことができます。

――「物事を天から俯瞰的に見つめる」というのも簡単ではなさそうですが、いいやり方はありますか。

村中 普段使っている日本語の特性を意識してみることも、「俯瞰」をうまくやる第一歩になると思います。日本社会の問題は言語の問題に通じています。
 
よく、外国人が日本語を学ぶ上で大きな障害となるのは「敬語」だと言われていますよね。正直、敬語の使い方は日本人にとっても難しいものです。

私はヨーロッパ言語を使ってみてわかったのですが、日本語には「相手と同じ地平に立つ」という感覚が言語的に欠如しています。完全に存在しないわけではありませんが、常に相手と自分の関係を上下関係にしてしまうのが日本語の本質だと思います。

自らはへりくだって相手を立てる。友達同士でもきちんと話すとなれば、敬語を使って相手を立てる……。相手を下にすることはほとんどないので、「自分を下げて相手を立てる」ことが、日本語を使う際の基本的な「他人との関係性」になりますね。

――ヨーロッパの言葉を使う場合、他人との関係性はどうなるのでしょう。

村中 ヨーロッパ言語では、相手と自分との関係は常にフラットです。フランス語で相手をvous(あなた)と呼んでもtu(君、お前)と呼んでも、相手との関係性に上下はないのです。

私が外国から日本に拠点を移したときに感じたのは、日本語を使うと自動的に生じるこの「上下関係」こそが、日本社会を形作っているということでした。上下を常に意識して言葉を使っていると、自分と他者の関係性にのみ意識が向く状態が延々と続きます。

日本語を使うと議論がしづらくなったり、物事を俯瞰的に扱いにくくなったりするのは、この敬語による上下感覚があるからではないでしょうか。相手と自分の関係性にフラットではない上下意識が入り込み、本質的な話がしにくくなる。おそらく「議論できない日本人」という状態が出来上がった一番の要因は、そこにあると思います。

日本の技術にもサービスにも、「おもてなし」という独特の概念にも、背景には「相手を立てて自分を下げる」という感覚が必ず付いて回ります。その結果、芸術や表現で一番大切な「本質論」や「世界観」、つまり「自分が何を表現したいのか」というポイントが抜け落ちてしまう危険に、日本人は陥りやすい。このことを意識しなければなりません。

少しぐらい歪(いびつ)なやり方でも、真に自分の本質を探し出し、自分が訴えたいことを表現しきったとき、そこには必ず「独自の世界観」が反映されます。音楽活動だけでなく、世界で何か活動しようと思う人は、その点を常に考えておく必要があるでしょう。そうすれば日本人は大丈夫です。

――あまり自分の独自性ばかり伝えようとすると、逆にある種のエゴイズムに傾いてしまう恐れはありませんか。

村中 いいえ、自分の世界観を伝えるときは、そこにエゴが含まれていてもよいのです。さらに言えば、エゴのない世界観など存在するはずもありません。目の前の相手の思惑や反応だけを気にするのではなく、「自分独自の世界」を心の底から全力で伝えようとする日本人の姿を、どの国の人たちも見たいと思っているのです。
 
きっと「日本人にベートーヴェンがわかってたまるか」と言ったドイツ人も、それまでに彼が演奏を聴いた日本人音楽家がベートーヴェンを通じて「新しい世界観」を強く表現していれば、そうは考えなかったはずです。でも、残念ながら、日本人音楽家のベートーヴェンの演奏にオリジナリティが見当たらず、批判したのでしょう。

私自身もこういった検証作業を通じて、自分をもっと知り、そして日本をもっとよく知らなければならないと痛感しました。いくら美しい音を出しても、いくら素晴らしいステージを演出しても、オリジナルな「自分の世界観」がなければ、国境や言語の壁を超えて人の心には届かない。その意味で、私がオーケストラ・アフィアと共に創出しようとしている「自然と音楽」(Nature and Music)のコンセプトは、私の音楽に対する感じ方や考え方の集大成であるだけでなく、「自分は何者なのか」「自分にとって日本とは何か」という質問への答えとも言えるものなのです。
                           

ー了ー

「横浜に新しいオーケストラを作る」と私が言ったとき、彼らは笑った。でも、私が世界のクラシック音楽の祭典で 「イノヴェーション・アワード」にノミネートされると…

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世界で活躍するオーケストラ指揮者が語る「ボーダーレス時代のリーダーシップ」②-5 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

――逆に多くの日本人にとっては、目の前にいる人間との関係性の方が、本質論よりもはるかに重要に感じられる……。

村中 だから本質を忘れて、枝葉である表面的な技術ばかりに力を入れてしまいがちになるのです。この、非本質的な部分を磨くことばかりを重んじる傾向が、職人性が尊重される世界でもときどき見受けられます。

私の経験では、たとえば一部のお寿司屋さんで、客と店の間にそんな雰囲気を感じたことがありました。今も同じようなところはあるでしょうが、特に昔は、慣れない人間が寿司屋に行くと、何からどう頼んでよいかわからないものでした。メニューや値段の表示がない店では、「通」の人間でないと入れないような雰囲気があったと思います。

私も昔、「寿司屋に入ってまずはコハダを頼むのが通である」などという話をどこかで読んで、緊張しつつも、自分でもまずはコハダを頼んだりしたものです。それで、ひょっとして自分も通になる道の入口くらいには立ったのかな、なんて思っていました(笑)。その一方で、見るからに寿司屋に通い慣れていそうな、いかにも通という感じの客の様子を見て、ちょっとうらやましくなったり……。

でも考えてみれば、寿司屋でいちばん大切なのは、寿司の「味」、寿司をおいしく味わうことです。職人さんの側も、なるべく「味」の良い寿司を客に供することが最重要なはず。客が通かどうかなど、はっきり言ってどうでもよい話です。だいたい、いくら寿司職人の腕が良くても、客を緊張させれば味覚にも影響して、おいしく食べてもらうことはできなくなるでしょう。

「寿司屋に行く本当の意味」を考えたとき、店にとっては「おいしい味を伝えること」、客にとっては「おいしい味を受け止めること」であるはずです。その本質があって初めて、職人さんと客との会話やコミュニケーションや店の内装、美しい食器などが、味をより良くするための意味あるものになってきます。通ぶった振る舞いや、寿司屋独特の符丁のやり取りだけでは意味はありません。

――どうして本質を伝えることが忘れられてしまうのでしょうか?

村中 最近はあまり言われなくなりましたが、高度成長期の日本人は「モノマネが先行してオリジナリティに欠ける」などと批判されていました。今でこそ「クール・ジャパン」という言葉が生まれ、最近は日本の独自性が海外でも評価されて自信に溢れていますが、実はかなり長い間、世界の日本に対するイメージは「オリジナリティの足りないモノマネ大国」だったようです。

それには、先にも述べましたが、一面で日本人の長所でもある「相手へのおもてなし」の重視が関係していると思います。「おもてなし」を重んじるあまり、本来考えるべき「本質論」を「おもてなし」にすり替えてしまう傾向がある。その結果、音楽のような表現活動でも、演奏するときに一番大切な「俯瞰的視点」を失ってしまう罠に陥りやすいのです。

日本人は西洋音楽を演奏するときも、ともすれば自分と相手との関係性だけに意識が向いてしまうのです。演奏する自分と、演奏を受け止める側の聴衆。この二者の関係性だけを考えて技を磨いてしまう。すると、「何のために音楽をやっているのか」がわからなくなります。

もちろん、技術を磨いて美しい音楽を間違いなく演奏できるのは結構なことです。しかし、その上に、自分が音楽の中に発見したメッセージや、独自の美学、世界観をしっかり盛り込んでいかない限り、いくら演奏技術が巧みでも、音楽は決して生きたものになりません。

その問題を解決するには「天から見つめる視点」、つまり、俯瞰的に物事を捉える視点が必要になります。自分と他者の関係性を超えるのです。それによって、音楽表現に絶対に欠かせない「世界観」が抜け落ちてしまうのを防ぐことができます。(to be continued)

「横浜に新しいオーケストラを作る」と私が言ったとき、彼らは笑った。でも、私が世界のクラシック音楽の祭典で 「イノヴェーション・アワード」にノミネートされると…

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世界で活躍するオーケストラ指揮者が語る「ボーダーレス時代のリーダーシップ」②-4 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

――門外不出のミステリアスな奥義のようなものはなく、演奏する内容はすべて公開されているのが西洋音楽である、と。

村中 もし西洋音楽にミステリーの部分があるとするなら、それは数字の中に見え隠れする神秘的な部分と同じようなものでしょう。西洋音楽についての歴史的な著述として、ある中世の僧侶がこんなことを述べています。

「音楽とは宇宙そのものである。この宇宙は様々な音の諧調によって構成され、天はその音の調べに合わせて回転しているのだ」

この一節は、米国の歴史家アルフレッド・W・クロスビーの著書『数量化革命』(邦訳・紀伊国屋書店)で紹介されています。中世以降も発展してきた楽譜の明快さの中に、日本の奥義とはまったく異質の、数学や天文学と通ずるミステリーが隠されているのは間違いないと思います。

もし天文学と同じように西洋音楽が科学であるならば、私たち日本人がその音楽にアプローチして、裏にあるミステリーを発見し、理解することは可能なはずです。別の見方をすると、そのくらい西洋音楽とは人類にとって普遍的で偉大な遺産であり、私たち日本人が愛して止まない理由もそこにあります。西洋音楽からJポップや歌謡曲や演歌が生まれ、現代の私たちの生活を豊かにしてくれているのですから、西洋音楽はもはや日本人の生活の一部となっていると言えるでしょう。

このように考えて、私は「自分に西洋音楽が理解できる理由」が見えてきたのです。音楽は科学と同じく人類の遺産なのだから、日本で培われた感性が優れてさえいれば、星の運行を見つめる角度は東洋と西洋で違えども、「自分自身の角度」から見ていけば日本人も西洋音楽の本質に迫り、理解することができるはずだ――。そういう確信が生まれました。

――日本で生活する中で育んだ感性は、西洋音楽を理解する上でむしろ強みになるということですね。

村中 はい。そんな確信を得て、私はヨーロッパで初めて「ああ、日本人でよかったな」と思うことができました。日本人には、ドイツ人やイタリア人、フランス人が見えない景色が見えているはずだということがわかった。「日本人であることを掘り下げて行こう!」という意識が生まれた瞬間です。

一方で、自分の中にもう一つ、考えるテーマが生まれてきました。それは「私たち日本人は、過去にどのような視点から西洋の音楽と向き合ってきたか?」というものです。ヨーロッパ人が「お前たち日本人に西洋音楽はわからない」と言うのであれば、日本人がどう西洋音楽と向き合ったためにこのような印象を彼らに与えたのか、解明したいと思ったのです。

やがて、そこを掘り下げて考えていくに連れて、私は、日本人が陥りやすい「罠」のようなものがあることに気づきました。

――日本人が陥りやすい罠とは何なのか、興味があります。ぜひ説明してください。

村中 私たち日本人は、「技術」を掘り下げていくのが得意だという特徴を持っています。たとえば茶道で、点前の上達を測るバロメーターとなるのは、茶を点てる者の動きのしなやかさであり、心の静まり具合です。こういった身体の動きや心の状態は、客をもてなす際にきわめて重要であり、そのために動作や心の技術を磨くのがよしとされています。

でも、これは、あくまで「相手と自分の関係性」の中だけで技術を掘り下げるという方向性です。それだけでは、まだ見えてこないものがあります。

――人との「関係性」の中だけで技術を掘り下げていては見えないもの、とは?

村中 それは「何のために茶を点てるのか」「茶を点てることを通じて何を表現したいのか」という「目的」です。そして、「何を表現したいのか」という目的意識は、人との関係性の中だけで技術を掘り下げれば掘り下げるほど欠落していきます。

日本人はそういう罠、あるいは落とし穴にはまりやすいのです。細部に目を奪われすぎて、本質を見るのを忘れることに似ています。

ビジネスやサービスの世界でも同じような側面があるのかもしれません。たとえば日本では、多くの店舗は「お客様に喜んで頂けるように」と、塵一つ、傷一つない品物を包装紙で何重にも包み、失礼のないようにということを第一に考えておもてなしをしますよね。中には、いかにすばやく包装紙で包むことができるかを競争する大会のようなものもあると聞きます。

日本人はそのくらい、自分と目の前の相手との関係に対して敏感なのです。関係性についての自分の技を磨いて、目の前にいる人に「おもてなし」をしなければならない、と。もちろん、それを大切にしていることは、日本人の美徳でもあります。

でも逆に、外側を整えたものを相手や客に渡すことばかり考えて、行き過ぎたサービスであるにもかかわらず、その点ばかりに意識が行ってしまうとどうなるでしょうか? 「何を伝えたいか」というメッセージが欠落しがちになるのは間違いありません。

逆の見方をすると、「何を伝えたいか」あるいは「何を表現したいか」が見つからない場合、日本人の傾向として、関係性に飛びつこうとすることが多いようです。つまり、「相手が喜んでくれる」ということが最重要課題になってしまうので、「何を表現したいか」が抜け落ちても、とりあえず言い訳はできる。しかしヨーロッパ人にとっては、音楽の表現がそういった表面的なものに終始すると、本質を持たない「ごまかし」にしか感じられないのです。

――逆に多くの日本人にとっては、目の前にいる人間との関係性の方が、本質論よりもはるかに重要に感じられる……。

村中 だから本質を忘れて、枝葉である表面的な技術ばかりに力を入れてしまいがちになるのです。この、非本質的な部分を磨くことばかりを重んじる傾向が、職人性が尊重される世界でもときどき見受けられます。

私の経験では、たとえば一部のお寿司屋さんで、客と店の間にそんな雰囲気を感じたことがありました。今も同じようなところはあるでしょうが、特に昔は、慣れない人間が寿司屋に行くと、何からどう頼んでよいかわからないものでした。メニューや値段の表示がない店では、「通」の人間でないと入れないような雰囲気があったと思います。(to be continued)

「横浜に新しいオーケストラを作る」と私が言ったとき、彼らは笑った。でも、私が世界のクラシック音楽の祭典で 「イノヴェーション・アワード」にノミネートされると…

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世界で活躍するオーケストラ指揮者が語る「ボーダーレス時代のリーダーシップ」②-3 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

前回からの続きです。

ドイツ人指揮者の「お前たち日本人にわかってたまるか」という発言は、実際にはヨーロッパで普通に語られるものだったのです。

それから数年経った時期、ローマに拠点を移していた私は、ある有名な国際指揮者コンクールの最終審査の対象3人の中に、100人以上の指揮者から選ばれました。その審査が終わると、1人の審査員が私のところに寄ってきて、「貴方は本当に日本で生まれたのか?」と訊くのです。私が「23歳で大学を卒業するまで日本に住んでいました」と言うと、「あり得ない!」という答えが返ってきました。

その審査員はフランス人で、私が指揮したフランス音楽、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴いていたく感動してくれたらしいのですが、そのリアクションが「貴方が日本人であるわけがない! きっとイタリア生まれの日本人だろう?」でした(笑)。「貴方がリハーサルで話していたイタリア語は日本人離れしているし、音楽の語法が他の日本人音楽家のものとまったく違う。こんな日本人には初めて会った」などと言ってくれました。

最初、褒められたと思って嬉しく感じたのですが、よく考えてみれば、この審査員の言葉の裏にあったのは、「日本人は外国語が下手だし、日本人の音楽の語法は独特だから受け入れられない」という見方。明らかに私たち日本人に対する負の先入観があったのです。つまり、先のドイツ人指揮者とこのフランス人審査員は、基本的に同じ意見を持っていたのです。

――日本人の音楽家が当時のヨーロッパで一般的にネガティブな先入観を持たれていた、と?

村中 実はしばらくして、こんなことがあったんです。ローマの自宅で聴いていたイタリア国営放送(RAI)のラジオ番組で、ある日本人ヴァイオリニストのリサイタルが放送されました。解説者はイタリアでもトップクラスの批評家で、よく新聞の文化欄で署名原稿を目にする有名な方でした。
ところが、彼がその日本人ヴァイオリニストを評したのを聴いたときは愕然としました。彼は演奏を聴き終わると、こう早口にまくし立てたのです。

「日本人といえば、非常に機械的な演奏をすることが多いが、このヴァイオリニストもやはりどこか音楽の表層ばかりを追っていて、確かに技術的には申し分ないものの、音楽の本質的な部分に迫っていないような気がする」
ドイツ人やフランス人だけでなくイタリア人の意見も同じなのか、と思って私は驚きました。「日本人にベートーヴェンはわからない」という見方はヨーロッパ人の共通認識だ――。それが私の検証結果となったのです。

そこで私は自問自答しました。ヨーロッパ人が言う「日本人との違い」とは何なのか? 彼らネイティブスピーカーのようにヨーロッパの言語が見事に操れれば、それで話は終わりなのだろうか? その言葉を駆使してヨーロッパの文化と伝統についての理解が深めれば、彼らの言うベートーヴェンの本質に近づけるのか? あるいは、ヨーロッパ人が好んで語る「音楽のスタイル」や「音楽語法」を努力によって身に付ければ、本当に同じ土俵に立てるのか?

――そう考えると、窮地に立たされるような感覚になりませんか。日本人にとって何もかも新しいヨーロッパで、何から始めればよいのか……。

村中 そうなんです。いろいろ考えると、「日本人が西洋音楽をやることに何の意味があるのか」なんて疑問さえ出てきてしまいそうになります。
でも、よく考えてみてください。仮に「ベートーヴェンはドイツ人だから、彼が使っていたのと同じドイツ語ができなければ、ベートーヴェンの音楽がわからない」とするなら、私がドイツ語を知らない中学生のときに感じたベートーヴェンのピアノソナタ「月光」の美しさは、ニセモノでしょうか?

 私が外国を経験したことのない純粋な日本人の若者として捉えた「月光」の美しさやはかなさ、そして終楽章の絶望的な激情、そういったものを理解できる感性は、本当に世界に通用しないのでしょうか?

先ほどお話ししたドイツ人指揮者やフランス人審査員、イタリア人批評家らの考え方が正しければ、私たち日本人はここで“ゲームオーバー”になってしまいます。ヨーロッパのどこかの国で生まれた音楽は、その国の人々だけが理解でき、また彼らだけが本質に迫る演奏をすることができる、という考え方ですね。実際、ベートーヴェンはドイツ人しか、ドビュッシーはフランス人しか、そしてロッシーニはイタリア人しかわからない――という気持ちを、ヨーロッパ人はどこか本質的に持っているのです。

一つの例を挙げると、現在、バイロイト音楽祭などを中心に世界的に活躍しているクリスティアン・ティーレマンというドイツ人指揮者がいます。ある時期ローマで活動をしていたこともあって、彼の話すイタリア語は見事なものでした。
そのティーレマンが、ボローニャの歌劇場でヴェルディの歌劇「オテロ」を指揮したことがありました。ところがイタリア人は、ドイツ人が指揮するヴェルディの音楽を認めようとしないのです。「ドイツ的」という言葉で酷評されていましたね。

同じような話があります。モーツァルトの最も有名なオペラで、ダ・ポンテというイタリア人が台本を書いた「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」の3部作は世界的に最高傑作とされていますね。でもイタリア人たちは、モーツァルトがオーストリアのドイツ語圏の出身だというだけで、イタリア語で書かれたこれらの作品を「ドイツ・オペラ」(Opera Tedesca)と呼ぶのです。彼らにとって、決して「イタリア・オペラ」(Opera Italiana)ではありません。

――自国の文化に対して、今なお強烈なブライドを持っているのですね。

村中 彼らの気持ちになれば当然のことかもしれません。イタリアを含めてヨーロッパでは、自国の音楽家や彼らが創り上げた作品こそが、個人と社会の誇りであり、アイデンティティなのです。ヨーロッパ人にとって音楽とは、「お国柄」をはっきり表す重要な文化的遺産だと言えます。
そこで私がさらに検証したいと思ったのは、「なぜ日本人の私にも彼らの音楽が理解できるのか?」という点です。まず考えられる理由は「楽譜」の存在。日本の伝統音楽と違い、西洋では記譜という技術によって音楽が数学的に計算・処理され、論理的に紙の上に記されていきます。

すべての楽器の音が楽譜の上に、まるで建造物のように描かれる。そのため、さまざまな角度から楽譜を理解し、音楽の形を発展させる土壌が生まれました。そこには、記憶や口伝を頼りとする他の国や地域の音楽形態とは明確な違いがあるはずです。

たとえば日本の芸やアートの分野では、その表現方法が「○○道(どう)」として師匠から弟子に口伝などで継承されますが、「秘伝」の部分については基本的に一子相伝です。秘伝という高度な領域が、ミステリー、つまり外部からは訳のわからない不確かな奥義として隠されているのです。
でも、西洋音楽は日本の「道」と対照的です。細部に至るまですべてが記譜法によって書き尽くされ、明らかにされているように見える。

――門外不出のミステリアスな奥義のようなものはなく、演奏する内容はすべて公開されているのが西洋音楽である、と。

村中 もし西洋音楽にミステリーの部分があるとするなら、それは数字の中に見え隠れする神秘的な部分と同じようなものでしょう。西洋音楽についての歴史的な著述として、ある中世の僧侶がこんなことを述べています。

「音楽とは宇宙そのものである。この宇宙は様々な音の諧調によって構成され、天はその音の調べに合わせて回転しているのだ」

この一節は、米国の歴史家アルフレッド・W・クロスビーの著書『数量化革命』(邦訳・紀伊国屋書店)で紹介されています。中世以降も発展してきた楽譜の明快さの中に、日本の奥義とはまったく異質の、数学や天文学と通ずるミステリーが隠されているのは間違いないと思います。

ここから先はまた次回!

「横浜に新しいオーケストラを作る」と私が言ったとき、彼らは笑った。でも、私が世界のクラシック音楽の祭典で 「イノヴェーション・アワード」にノミネートされると…

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世界で活躍するオーケストラ指揮者が語る「ボーダーレス時代のリーダーシップ」②-1 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

世界で活躍するオーケストラ指揮者が語る「ボーダーレス時代のリーダーシップ」②

――昨年の暮れ、2015年12月11日に紀尾井ホールで行われた公演「シルクロードへの旅」を指揮された印象はいかがでしたか。マーラーの「大地の歌」の室内オーケストラ版新版を日本初演されたとして、音楽ファンの間で注目されていましたが。

村中 おかげさまで、来日して私たちOrchestra AfiA(オーケストラ・アフィア)と共演してくれた歌手陣も素晴らしい出来で、アフィアの新しい可能性を確認することができました。今後、マーラーの交響曲を少しずつ演奏していくつもりです。でも、その前にベートーヴェンやメンデルスゾーン、シューマン、シューベルトといったレパートリーを積み重ねていきます。
ところで、実は海外から朗報が届いたんですよ。

――何があったのですか?

村中 私たちOrchestra AfiA(アフィア)が、世界のクラシック音楽の団体が多数参加する「クラシカル・ネクスト!」(Classical Next!)で「イノヴェーション・アワード」にノミネートされたのです。非常にありがたいお話でした。連絡を頂いたのは、ちょうど先ほどお話しした12月11日の公演の打ち上げが終わった直後、ベルリンの本部からのメールによるものでした。
ノミネートの理由として挙げられていたのは、Orchestra AfiA(アフィア)が2013年から始めている「自然と音楽」(Nature and Music)のテーマがオリジナリティに富んでいる、ということで彼らの目に留まったのだそうです。

――「自然と音楽」をテーマに据えたいきさつを教えてください。

村中 2011年3月に起こった東日本大震災で、私はアーティストとして何もできませんでした。ただし当時、イタリアのパレルモ市のシチリア交響楽団(Orchestra Sinfonica Siciliana)で春の公演を指揮する予定だったのですが、そのプログラムのモチーフを急遽「海」とし、震災への追悼の意を込めて、ドビュッシーの交響詩「海」やブリテンの「海の間奏曲」を演奏したのです。
この演奏会で、私はドビュッシーの「海」を演奏する前に、聴衆に向かって「震災、特にその海の猛威によって失われた魂を追悼します」と語りかけました。やがて、曲が進むうちに気づきました。眼前に広がるイメージは、ただ「自然の美しさ」ばかりであり、「自然と向き合う自分の姿」しかないのだ、と。自然の猛威より、「自然との共生」に視点を向けるのが音楽の本来の姿だ、と実感したのです。
こうして「自然と音楽」のコンセプトが生まれました。そして「自然と対峙したときに人間が感じる心のあり方」をベートーヴェン以降の作曲家の多くが表現しようとしていることに着目し、私が音楽を演奏するときの中心的なコンセプトにも据えようと思ったのです。

――村中さんが「自然と音楽」を自らのテーマに据えようと思ったのは、そのときが最初でしたか?

村中 はい。ただし、ここに行き着く前、音楽家である自分にとってクリアしなければならない、たいへん重要なテーマが別にありました。
私は海外から日本に拠点を移すまで、ヨーロッパの地を転々として経験を重ねてきました。ウィーンに学び、ローマに住み、ロンドンで活動し……といった経歴の中で一番大切にしていたのは、「自分は誰なのか?」という問いに真剣に向き合うことでした。そうやって自問することが次第に習慣化し、あるときから、この問いは音楽家として世界で活動する上で最も重要なことだ、と確信するようになったのです。
でも、初めからそう考えていたわけではありません。自問のきっかけが与えられた最初の体験は、渡欧してウィーン国立音楽大学の指揮科で留学生活を始めた直後にありました。先輩のドイツ人指揮者から「お前たち日本人なんかにベートーヴェンがわかってたまるか」と言われたのです。

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世界で活躍するオーケストラ指揮者が語る「ボーダーレス時代のリーダーシップ」②-2 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

渡欧してウィーン国立音楽大学の指揮科で留学生活を始めた直後にありました。先輩のドイツ人指揮者から「お前たち日本人なんかにベートーヴェンがわかってたまるか」と言われたのです。

これはまさにカルチャーショックでした。そういうことは普通、内心では思っていても、「黙って語らず」というのがヨーロッパ人の不文律のようなものでしたが、そのドイツ人は違ったわけです。

――そんなショッキングなことを言われて、何と答えたのですか?

村中 私はとっさに切り返しました。「君たちドイツ人だけでなく、僕らのような極東の日本人にもわかるくらいベートーヴェンの音楽は素晴らしいものだし、普遍的な音楽だと思う」と。

今にして思えば、この出来事は自分自身を見つめ直す大きなチャンスであり、ある意味で「天からの問いかけ」だったのです。当時は自分でもうまく切り返したつもりだったのですが、後になればなるほど、相手が発した言葉のエネルギーがボディブローのように効いてきました。私の心の中に、「本当に自分の言った通りなのかどうか、実際はどうなのかを検証してみたい」という欲求がふつふつと湧いてきたのですね。

ここで申し上げておかなければならないのは、当時から私は、西洋人の音楽作りと自分の音楽作りにあまり大きな違いを感じていなかったということです。日本の普通の大学を卒業して、独学に近い形で音楽を勉強していたので、ウィーンには先入観なしに音楽を学びにやってきた。「当たって砕けろ」みたいな感じで留学したというか(笑)。誰かに教わった通りに音楽をやってきたわけではなく、自分の方法論は未熟ながらも確立していました。それが独学の強みでしょうか。

加えて、「これは日本人の先達に感謝しなければならないな」と思ったことが、留学当初はたくさんありました。実を言うと、私が外国で生活を始めたときの第一印象は、「なんだ、日本の方が優れているじゃないか」というものだったのです。「ヨーロッパの方が日本より優れている」とは思わず、日本の優れた文化と比べたとき、「ヨーロッパははたして本当に凄い文化と言えるのだろうか?」という疑問が先に出てきてしまったのです。

――具体的には、日本の文化のどんなところがヨーロッパに負けていないと感じたのですか。

村中 まず、「食に対する感性の違い」に驚きました。食文化において、明らかに日本の方がヨーロッパより優れていると実感できたのです。

それだけではありません。「身体が大きいヨーロッパ人には、華奢な日本人が持っている繊細さが欠如しているのではないか」と思うような場合も散見されました。たとえばサービス業でも、彼らの毎日の仕事に対する大雑把さには、日本の“お客様至上主義”と違う価値観が見え隠れしました。

端的に言うと、ウィーンでいろいろな店に入ったとき、店側に客を叱りつけるような言葉や態度が多かったことがまず印象に残りました。客を客とも思わぬ態度。そういった様子を目にすると、「日本人の社会がいかに素晴らしいか」がよく見えてきたのです。

だから、いざ音楽をするとなったとき、それがたとえ元はヨーロッパの文化であっても、日本人として音楽への感性が劣るといったコンプレックスを感じることは微塵もありませんでした。そんなことを思いながらウィーンでの生活を始めた最初の年に、「日本人にベートーヴェンがわかってたまるか」というドイツ人指揮者の言葉と出会ったので、割合と冷静に受け止められたのかもしれません。

実は、この言葉の妥当性を考えてみると、当時のヨーロッパでは意外にも「日本人の演奏家は“機械的”に演奏をする人が多い」という評価が多かったのです。これには私も正直驚きました。ドイツ人指揮者の「お前たち日本人にわかってたまるか」という発言は、実際にはヨーロッパで普通に語られるものだったのです。

それから数年経った時期、ローマに拠点を移していた私は、ある有名な国際指揮者コンクールの最終審査の対象3人の中に、100人以上の指揮者から選ばれました。その審査が終わると、1人の審査員が私のところに寄ってきて、「貴方は本当に日本で生まれたのか?」と訊くのです。私が「23歳で大学を卒業するまで日本に住んでいました」と言うと、「あり得ない!」という答えが返ってきました。

その審査員はフランス人で、私が指揮したフランス音楽、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴いていたく感動してくれたらしいのですが、そのリアクションが「貴方が日本人であるわけがない! きっとイタリア生まれの日本人だろう?」でした(笑)。「貴方がリハーサルで話していたイタリア語は日本人離れしているし、音楽の語法が他の日本人音楽家のものとまったく違う。こんな日本人には初めて会った」などと言ってくれました。

最初、褒められたと思って嬉しく感じたのですが、よく考えてみれば、この審査員の言葉の裏にあったのは、「日本人は外国語が下手だし、日本人の音楽の語法は独特だから受け入れられない」という見方。明らかに私たち日本人に対する負の先入観があったのです。つまり、先のドイツ人指揮者とこのフランス人審査員は、基本的に同じ意見を持っていたのです。(to be continued)

「横浜に新しいオーケストラを作る」と私が言ったとき、彼らは笑った。でも、私が世界のクラシック音楽の祭典で 「イノヴェーション・アワード」にノミネートされると…

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達人の国ニッポン – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

こんにちは!
指揮者の村中大祐です。
素敵な一日をお過ごしですか?

今まで知っていると思っていた人から
全く違う側面を見せられた時
なんだか新鮮に思って、その相手に
すごく魅力を感じたことってありませんか?

それは僕が日本一美味しいと思っている
とあるピザ屋さんでの会話でした。

彼とのお付き合いはまだ3年と短いですが
イタリアを愛する自称「イタリア通」の
我々家族で訪れると、まるで常連さんのように
おもてなしを頂ける素敵なピザ屋さんなんですね。
何より美味しいピザが食べられる!
仕事に疲れると、気分転換によく伺うようにしています。

入り口には亀が2匹いて、それが我が家の合言葉。
「今日亀のピザ屋いこうよ。」
昨夜もそんな会話からピザを食べに行きました。

オーナーシェフは僕より10歳近く若いはず。
30代終わりに差し掛かったころでしょうか。
昔スイスにチーズ留学していたそうで
彼の手にかかればチーズやベーコン、ソーセージは
素晴らしく美味しいわけですね。

そんな彼に最初にお会いした時の印象は
「真面目な料理人」だったんです。

伺う度にグレードアップ。僕の注文で
「もうちょっとこんな味が効いていたらなあ」
と言うものなら、次に伺う頃には
想像を超える改善がなされています。

そうやって瞬く間に「日本一美味しい!」と
我々に呼ばれるようになったのです。
彼は我々の模範でもあり、学ぶべきことが多い。
そう思いながら、昨夜もお勘定のとき
思わず拍手!してしまいました。

そこからです。彼がぽそっと話し出したのは。
「僕は実は居合いの稽古してるんです。
師匠から【数をこなせ!】と言われるんですが
そうしたらグレードアップするときがあるんですね。
これはピザも同じだと思うんですよ。
努力もある一定の数をこなすと、あるとき【ふっと】
変われる時が来る。村中さん、そうでしょう?」

確かに。思わず頷いて聞き入っていました。
真面目な料理人の顔が、僕には
ひとりの求道者、達人のイメージに変わっていき
話を一緒にしてみたくなりました。
学ぶべきことは多い。
「今度またゆっくり。」そう言いながら店を後にしました。

美味しいものを食べさせてくれるシェフの努力。
達人の国ニッポンを象徴する話のような気がしました。
そして達人がやはり多く居るイタリアに
思いを馳せたのでした。

素敵な夜でした。
貴方にも素敵な出会いがありますように。
今日もお元気でお過ごしください。

お急ぎください!あと残り僅か18セットです!

〆切は9月20日。

村中大祐指揮Orchestra AfiA「自然と音楽」シリーズVol.4「Legend伝説」の公演は2014年6月3日、イリーナ・メジューエワさんをシューマンのピアノ協奏曲のソリストに迎えて、神奈川県立音楽堂で行われました。ヨコハマの鎮守の森、伊勢山皇大神宮の傍らで演奏したわけですが、その模様が収められたCDーRセットは残り18セットとなりました。〆切は9月20日。

お申込みはこちらからどうぞ。
https://spike.cc/shop/user_956153619/products/RiJFhR6U

ライブ録音CD-Rセット【第一期】村中大祐指揮Orchestra AfiA「自然と音楽」演奏会シリーズVol.1~Vol.4

村中大祐指揮Orchestra AfiA「自然と音楽」シリーズ
<ライブ録音・第一期>CD-Rセット発売開始!(9月20日〆切)

第一期は残り18セットのみとなります。お早目にお申込みください。

①「自然と音楽」演奏会シリーズVol.1 「海、そしてゲーテの見たもの」

•メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」作品26(ロンドン第2稿)
•モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」
•メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」

②「自然と音楽」演奏会シリーズVol.2 「Mondnacht 満月に寄す」

•モーツァルト:ディヴェルティメントニ長調 K.136
•シェーンベルク:「浄められた夜」作品4
•メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 変ホ長調 作品20

③「自然と音楽」演奏会シリーズVol.3 「Elfentanz! 妖精の踊り」

•メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」全曲(歌・日本語ナレーション:波多野睦美)
•ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36

④「自然と音楽」演奏会シリーズVol.4 「Legend 伝説」

•メンデルスゾーン:序曲「美しいメルジーネの物語」序曲 作品32
•シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54(ピアノ:イリーナ・メジューエワ)
•ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

自然と音楽」演奏会シリーズVol.1~Vol.4セット
➡定価24,000円(税込価格:25,920円)
〆切は9月20日。
お申込みはこちらからどうぞ。
https://spike.cc/shop/user_956153619/products/RiJFhR6U