指揮者の交渉術⑱「Ieri Oggi Domani 昨日・今日・明日」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

昔テアトロ・マッシモ(パレルモ)の取材に
亡くなった写真家の木之下晃さんが奥さまを連れていらっしゃり、
劇場の取材と私の取材を同時にしてくださったことがある。

音楽現代に特集記事を組んでくださったのだが
その時どうしてもセジェスタSegestaのギリシア神殿が見たいと仰り
一緒に現地まで同行して
その見事な神殿の様子に感激したのだった。

前回お話した通り
シチリアにはギリシアに残っていない完全な形のギリシア神殿がある。
そういった場所の中でもアグリジェントやシラクーザ、そしてこの
セジェスタは素晴らしい。

いずれもギリシア悲劇を演ずる場として今でも
アンフィシアター(円形劇場)が使われている。

昔ローマの古本屋で
エウリピデスやソフォクレスの戯曲を
イタリア語で100円くらいで買った覚えがある。
まだ通貨がリラの時代。本当に安くで手に入ったものだ。

それらを見ながら「ああ、エレクトラの時代とは
こういう文化だったのか。」と納得した。
コーラスという言語も今は合唱となっているが
こういったギリシア悲劇から生まれていて
そういった文化的背景を知るより「体験」するのは
私たちアーティストにとっては
何よりの頭の体操になる。
ローマにはヴァチカン市国があるのは
あなたはご存知だろうが
ヴァチカンはローマのテルミニ駅から
歩いて半時ほどで行ける距離にある。

要は異文化体験によって自分を見つめなおす作業。
こうなってくると
日本の学校で「暗記した言葉」も
生きた「自分の言語」となってくる。
イタリアというのはそう言う特別な場所。
「昨日、今日、明日」というマストロヤンニとローレンの
映画を観た覚えがある人も多いだろうが
「過去、現在、そして未来」が繋がる場所なのである。

例えば前にもご紹介したエトルリア人の遺跡がある
トゥスコラーナ街道の最南端。
そこはI Castelli Romani(英語ではRomain Castles)といって
Frascati, Grottaferrata, Genzanoと言ったローマ南西の
400メートルの高台だが

そこでは現在でも数千年前の自然が残されており
羊飼いが未だに羊を放牧して暮らす場面に遭遇する。
ローマから車で1時間の場所で、だ。

私はこのローマン・キャッスルのフラスカーティに住んだが
週末になると決まってナポリ人の検事、その奥さんのアルゼンチン人、
地元の貴族や聖職者たちと一緒に
この遺跡付近でバーベキューをしていた。

もともとはゲーテがその「イタリア紀行」で
デッサンをした風景画が残っている場所で
ゲーテが飲んだくれた白ワインの樽が
フラスカーティの中央に残っており
その酒場にヴァチカンやローマの貴族、聖職者たちが
食べ物を持ち寄って夜な夜な集まって来る場所だ。

誰と飲むか。誰と喰らうかは全く気にせず
毎晩のように宴会が続く。
私も時折家から徒歩1分のこの場所で
ハムやらピザをつつきながら
彼らと飲み交わし、歌い合ったものだ。

だがそのシンプルな宴は
実は中世から続いていて
まるでおとぎ話の世界のようだ。

そして自然にふと目をやれば
ゲーテやマネが描写した風景が
むかしさながらに完全な形で残っている。

時が止まっているのか?と思いたくなる風景だ。
そこで日本を思うと
果たして自分が昔ザリガニ釣りをしたあの場所は
カブトムシを追いかけ、スズメバチに追いかけられた
あの懐かしい遊び場は

次世代の子供たちがもう駆け回ることもできないほどに
自然の破壊が進んでいて

それを思うと
私たちは自然を犠牲にして
いったいどんな豊かさを得たのだろうか。

そう思ってしまう。
人口が減少することに一喜一憂する昨今。
でも人口が減るのは
自然の摂理なのではないか?

それで将来の社会を
経済的に支えられなくなると憂いをもって語るひともいるが
これだけ自然を破壊しておいて
経済でもないような気もしてくる。

何かを破壊して得た「ゆたかさ」の代償として
自分たちが減ることになるのではないか。
自分たちが減ることで
もう自然を破壊しなくてもよくなるのでは?

エコ、エコ、エコ、エコ。
エコのサイクルに人間が入っていないことに
ふと気が付いて書いてみた。

皆が少子化を憂うるなかで
人間がふと、その視点を周囲の環境に向けるなら
それもまた必然、と思うことになるのでは?

それが正しいか間違いではなく
自然の摂理ではないのか?

これらはすべて
イタリアに居て思ったことだ。

自然との交渉。
日本のこれからの課題のような気がする。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

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指揮者の交渉術⑰「島国ど根性」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

私は割合にイタリアのシチリア島でのご縁が多い。
第二の故郷と言えば
南イタリアなのかもしれない。

ローマのスペイン広場の前の通りに
面白いレストランがある。

イタリアにはごく稀に存在する
日替わりメニューが2種か3種しか置いていない場所。

そこに毎日ジャーナリストやアーティストが
集うわけだ。ここで随分たくさんの出会いに恵まれた。

私は当時、と言っても20年ほど前のことだが
そこであるジャーナリストと知り合いになった。
ひょんなことから隣同士になって
彼は私にこう質問した。

Sei tu un figlio di Sol Levante?
「お前は日の出る国の子孫か?」

魏志倭人伝にでも出てきそうな会話だが
「そうだ」と返すと
喜んで握手を求められた。

この小さな男イニャツィオIgnazioが
有名な伯爵家の出自で
ジャーナリズムの一世を風靡した人間だとは
その時はまだ知る由もなかった。

この男に出会ってしばらくすると
私は文化庁の研修先だったローマ歌劇場から
新しく赴任した指揮者のジュゼッペ・シノポリに
追い出されて、パレルモのマッシモ劇場に向かい
すぐに電撃的デビューをしたのだが

どう言う訳かこのイニャツィオが楽屋に突然現れた。
「ダイ、お前は次世代のカラヤンだ!」

そう言った彼は笑いながら私を抱きしめて
家族を紹介し始めた。

よく聞いてみると
なんでも彼の祖父が戦時中
ムッソリーニの迫害からユダヤ人たちを
シチリアの自分の領土で守り抜いたため
イスラエルから特別な勲章が贈られているそうだ。
まるで杉原千畝さんのイタリア版。

私が当夜パレルモで突然デビューしたのも
シェーンベルクの曾孫のユダヤ人指揮者の代役であり
またその指揮者自身がユダヤ教のラビ(司祭)であることも相俟って
不思議なご縁を感じていた。

因みにある日
ローマにある邸宅に招かれると
コリエレ・デッラ・セーラCorriere della Seraという
中道右派の新聞のオーナーに出会う機会があった。

連れて行ってくれたのはレズビアンのユダヤ人医師で
オーナーもユダヤ系の女性だったことを考えると
恐るべし、ユダヤ人のコネクションである。

ローマのゲットー(ユダヤ人街)に行くと分かるが
そこはアーティストなどが集う不思議な空間だ。
ちょうどフォーロ・ロマーノから歩いて数分、
魚介類が美味しいトラステヴェレ地区の近辺にある区域だが
ここにはユダヤ教の経典に巻き付ける装飾の博物館もあり
ヨーロッパで一番大きなゲットーだそうだ。
ウィーンにもユーデン・ガッセJuden gasse(ユダヤ人街)があって
そこも文化的に非常にレベルの高い
アリストクラートが多かったように思うから
興味のある方は各国のユダヤ人街に
是非行かれることをお勧めする。

因みにローマのゲットー内で非常に美味しいレストランは
I Pompieri(消防士)というレストランだ。
ちょっとお高いが、日本人の感覚で言うなら
お得なレストラン。
きっと本場イタリアンを堪能できると思う。

このイニャツィオとはパレルモやローマで
頻繁に食事をするようになるが
ちょうど私が日本の新国立劇場でオペラデビューをする際、
サウジアラビア国王の前で
御前演奏をする話を持ってきてくれた。
私は東京のオペラを選んだため
丁重にお断りしたが
イニャツィオの言うことを聞いていたら
今頃は大金持ちだろうと思う。

ユダヤ人の人脈に強いイニャツィオがアラブの国王の話を持ってくる。
いかにもシチリア人らしいところだ。
と言うのもシチリアは面白い場所で
ノルマン人つまりヴァイキングや
アラブに統治された時代があり
まさに多様多種な文化が混淆する場所。

そして古くはギリシアの一部であり
ギリシア神殿が完全な形で残るのは
現在のギリシアではなくシチリアなのだ。

そう考えると面白いと思うのは
シチリア人が世界を席捲していると言う事実だ。

シチリア人には2種類のパターンが見られる。
1. おらが村から一歩たりとも外には出たがらない純潔シチリアーノ。
2. シチリアではなく世界中で生きるタイプ。

この2種類の差が非常に激しい。
ミラノの財界を牛耳っていた人間もシチリア人が多く
悪名高いニューヨークのボスたちもシチリア関連だろう。
つまり彼らのネットワークは、世界中にあるということだ。
その理由のひとつが、多国籍の文化が島のなかに入り交じったために
社会のなかに一種のエネルギーの爆発が起こったのだと思う。
確かにシチリア人は特殊な民族で、北と南、西と東を縦横無尽に駆け巡るような
知的財産を保有している。

アラブやギリシアのことを西洋人はオリエントと呼ぶ。
そのオリエントを自分たちの血のなかに抱え込んでいるのだ。

ローマのテルミニ駅にはバカでかい本屋があるが
そこで一番分厚い本を頼めば、必ず出てくるのは
Fosco Marainiフォスコ・マライーニの
「Ore Giapponese日本の時」であろう。

フォスコの娘のダーチャも作家だが
フォスコの日本滞在記はイタリア人を日本に近づけ
ある意味日本の伝道師だったとなった。

彼もまたシチリア人である。最後はフィレンツェで永眠したが
フォスコの足跡は日本でももっと評価されるべきだと思う。

彼がなぜ日本に興味を持ったか。
その一番大きな要素は、私の独断と偏見によれば
いずれも【島国】であるという事実だ。

今日も素敵な一日を。
横浜の自宅から
村中大祐

指揮者の交渉術⑯「ゆらぎの美学と戦略論」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

横浜でオーケストラを作るときに
何を大事に考えたか?

それは「点」ではなく「線」を表現すること。

当時オーケストラのオーディションに来てくれた
国内外などで研鑽を積んだアーティストたち。
そのレベルは驚くほど高かった。

中にはコンクール優勝者なんて方もいらしたが
皆が若いアーティストだった。

横浜という進取の気性がある「ように見える」街で
行うプロジェクトだから
「横浜から世界へ」という
例によって得意なタイトルを考えていた。

それを横浜市の記者発表でお話すると
この標語は独り歩きし始めた。
それもまた可成り。

彼らとMusic makingをするに当たり
市の関係者の方と街を散策した。

練習場所を探すためだ。
本番はみなとみらいホール。
でも私は「街の音」をクリエイトしたかった。

そこで馬車道や港の見える丘、
あるいはみなとみらい地区をくまなく探した結果
現在馬車道上にある旧BankARTバンカート,
現在の創造都市センターが
ヨーロッパ的な音の基礎を作るのに最適だと思った。

この横浜OMPオーケストラ(オペラ未来プロジェクト)とは
モーツァルトの生誕250周年2006年1月26日には
ストラヴィンスキーとモーツァルトのプログラムで
公演を横浜みなとみらいホールで行い
まさに横浜の音があふれ出る結果となったが

私が仕組んだ創造都市センターでの
リハーサルを敢行した際には
音楽家たちはかなり戸惑ったようだ。

なぜならこの場は教会のように
音がぐるぐる回り、拡散するからだ。

これでは「点」で自分の音を
他人と合わせることができないのだ。

実は私はそのためにわざわざ
この教会のような
天井の高い石造りの建物を
リハーサルの場所として選んだ。

それによって音楽家の耳が
必然的に「点」ではなく
「線」に移行するよう仕向けたのだった。

そして実はもう一つ、仕掛けがあった。
「オペラ」である。

歌手の息を聴くこと。
言葉の流れを音楽の中に取り込むこと。

このふたつをオーケストラのなかに
叩き込みたかったのだ。

だからスタッフが驚くほど
沢山の練習をオーケストラに要求した。

通常なら2日や3日でリハーサルをこなしてしまう
オーケストラのメンバーに
2週間ほどの時間を割いてもらい
私がすべてのパートを歌いながら
オペラの伴奏部分を弾く作業に徹してもらった。

そうするとどうなったか。

点だったはずの意識は線に向かい
やがてフレーズのカーブ感が生まれるようになった。

でもそれはもともと彼らが持っていた感覚だった。

意外だろうが、これは事実だ。
みな、実はできるのだ。

だが「個人」としてはできても
「集団」になれば
いわゆる集団的無意識によって仕切られてしまう。

個人の本来表現したいWill(ウィル)は
見事にそこでかき消されてしまう。
日本人集団の持つ全体主義的嗜好(あえて書くよ)である。

それに歯向かえば死あるのみ。
本気でそう思っているらしい。

だが2017年現在
どうか周囲を見て欲しい。

少なくとも私が知る限り
多くの集団がこのIdentity Crisis、
存在意義の危機を乗り越えている。

この危機を乗り越えるには
何が必要かと言えば
それはリーダーの「戦略」だ。

よくイノヴェーションと言うが
そんな難しい用語を使いだせば
日本人は本来の言葉の意味も考えず
「周りの人たちと共有できる」勝手な意味付けを
イノヴェーションという言葉に与えてしまう。

そうなるとイノヴェーションの本質は
どこかへ消え去るのみだ。

日本人は「周囲がどうするか」を重視する。
プライオリティは集団への帰属意識であり
自分の感覚や感情は二の次なわけだ。

それでは戦略にならないではないか。
それではイノヴェーションなど起こるわけもない。

イノヴェーションの起爆剤とは
自分の感性・感覚・感情である。
他人や周囲のものではない。

その本質を語らずして、
日本人にイノヴェーションを語ったところで
起爆剤は作動しないのである。

では横浜のイノヴェーションでは
いったい何か起きただろうか?




少なくともまだ学生だった人達は
このオーケストラを通じて
日本全国のプロフェッショナル・オーケストラの
トッププレーヤーとなった。

それは彼らが私の世間に言わせれば
「突拍子もない」変な考えに
”とりあえず”協力したからである。

全体が一人の考えに”とりあえず”
信じて寄り添ってみる。

そうすると思わぬ世界が見られるのである。

私は日本に戻った際、
多くのオーケストラの奏者たちから
こう言われた。

「村中は芸術家を気取ってやがる」

わたしは気取っているのではない。
私は誰が何と言おうが
列記としたアーティストである。
これは私の信念である。

黙っていたのでは何も変わらない。

リーダーとは交渉に長けていなければならないのだが
交渉とは誰とするのか?と言えば
社会に厳然として存在する
アンシャンレジーム、つまり既存の価値観と
交渉するわけである。

既存の価値観は打ち破るものではなく
交渉の末に新たな価値観をゲットするのが
王道と言うものだ。

継承し創造する。
そこに全てがある。

それには「戦略」が必要である。
しかもこの「戦略」とは
実は「敵」に対する戦略ではない。

敵も味方もないのである。
あるのは自分の所属する社会だけだ。
そこから逃げても仕方がない。

そのまさに自分の所属する社会を
いかに欺きながら、いかに懐柔しながら
いかに全体の理・利に適ったように
戦略的に対峙するか。
それが本来のリーダーシップと言うものだ。

リーダーは常に集団と対峙するが
その集団は自分の鏡である。
鏡に映る自分の分身を
正しい方向に向かわせるためには
あなたの中に理念と理想が明確になくて
どこに向かえというのか。

点と線がゆらぐ瞬間がある。
いわゆる「ゆらぎ」の美学。

それをどう使い分けて行くか。
それもひとつの戦略なのである。

素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐