聴こえない音④「記憶に宿る色」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

色と音。
これはもう私の大切なテーマで
常にこの話が身辺につきまとって
離れない。

フランス人の作曲家オリヴィエ・メシアンが
鳥のモチーフを世界中で採取して
それを楽曲のなかに持ち込んだことと
彼が非常に色彩のヴィジョンを大切にしたことは
2つのメシアンの特徴とされるが

正直言って
メシアンの曲のなかで
鳥の声は判別可能だが
色彩となると、うーん。
私にはわからない。
むしろ色々なテクニックに凝り過ぎて
色がぼやけた印象しか残らない。

現代というのはこのメシアンの曲に似て
ともすると自分の知覚するものが
ぼやけてしまう。

それは情報過多だからか。

では私の場合何を感じて
色と音のことを語るか。

面白いのはバロックの時代。
この時代もわたしにとっては
一様にモノトーンに見える。

だが。。。
実はその中に色彩が
鮮やかに見えてくる場合も多い。

瞑想して雑念を処理していくと
頭がクリアーになるのと同じで

音を処理して減らす
集中する対象を明確にする

これによって
人間の注意力は
深く深く奥へと導かれ

例えばチェロの音のなかにも
極彩色の華やかさを見ることになる。

同じ音なのに
弾き手によって音が違う。

無伴奏チェロ組曲なんて
誰もが弾くけれど
ひとつとして同じ演奏がなく
その演奏する人間が
捉えた世界観が表出する。

そこで色を見るというのは
つまり実際の色彩ではないのかもしれない。

もしかしたら色ではなく
個性とよぶべきものかも。

面白いのは音が記憶と繋がること。

私はバッハを聴いたり演奏するとき
幼少時に常に我が家にあった
京都の清水焼のデミタスカップに描かれた
色なんてのが脳裏に浮かび上がる。

フォーレの曲なら
例えば信楽だったり
備前の粗い表面の茶が浮かんだり。

そういう色と音の妙は
意外に記憶が重要で
ひとは音に記憶を呼び覚まされたり。

そんな聴き方もまた楽し。

今日が素敵な一日となりますように。

横浜の自宅から
村中大祐

聴こえない音③「飛べないピーターパン」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

ピーターパンの映画で
ロビン・ウィリアムスがピーターを演じた
「フック」という映画があったのを
あなたは覚えているだろうか。

結婚して家庭のあるピーターは
もう飛べなくなっているところに
妖精がやって来て
ピーターの「常識」をぶち破る旅が始まる。

飛べないピーターが
飛べるようになった時
観る者に大きな気づきがあるような映画。

監督のスティーブン・スピルバーグの
メッセージとはなにか?

あなたは大人になって
飛んでいるだろうか?
リスクを冒して、
勇気をもって
自分を表現しているか?

毎日の生活に忙殺されると
子供のときの純真な思いや
冒険の日々のなかで勝ち得た
特別な夢の実現が
どんどんと遠のいていく。

「しょうがない」という言葉。
これはフランス語でもドイツ語でも
イタリア語でも存在するということは
世界共通の表現なのか。

きっとみな、同じ思いで生きているのだろう。

飛べない自分を
飛べる自分にしたいと思うなら

本当の自分を表現したいなら

見えないものが見えるように
聴こえないものが聴こえるように
生きればいい。

年をとると
ある一定の周波数の高さの音が
聴こえなくなるそうだ。

若いうちはそれが聴こえているのに
聴こえなくなった事実に
気が付かない。
それが年を経ること、らしい。

だが年を経て経験を得ると
若かった時に聴こえなかった音が
実は聴こえるようになる。

昔読んだ漱石の一文が
経験を経て
違った趣を醸し出してくるのに同じ。

漱石の書いた内容をみながら
そこに自分の世界を投影することも
経験を経るとできるようになってくるものだ。

年をとると
物理的に聴こえなくなる。
記憶力が低下する。
視力が衰えてくる。

それが経験を経て豊かさに変わるのを
教えてくれたのは
実は、音楽だった。

年をとって来日した有名なピアニストは
若い完璧なテクニックの演奏家よりも
若い頃の自分の録音よりも
より深い感銘を残して帰って行く。

彼らは常に完全ではないのだが
微妙な揺れやミスタッチのなかに
独自の味わいを聴かせてくれる。

それは誰にでも理解できる豊かさ。

よくあるような
100歳にちかい人間が
舞台で演奏することに
ただ驚いたわけではない。

100歳にちかい人間の
人生を味わい尽くしたその「豊かさ」に
皆が感動したのだ。

若い人間が到達しえない境地。
そこを勘違いしてはいけない。

ともすると「100歳だからスゴイ」と言って
数字や現象・カタチばかりにとらわれるのが
私たち日本人の傾向だ。

年をとった演奏家や
若くても何かを表現しようとする人間は
リスクを冒してでも
「自分独自の表現」にまで昇華させようとする。

これこそがピーターパンが飛べるかどうか?
の瀬戸際なわけだ。

勇気がなければ飛べないが
勇気を振り絞ってリスクを冒すというわけだ。

そうなればミスも出てくる。

見る側、聴く側には
そのミスに惑わされずに
表現の本質を味わい尽くすことが求められる。

この「違い」を分かるあなたは
きっと「豊かな」ひと。

豊かさとは
ミスタッチの裏側にある。

ミスタッチとは
飛ぼうとする人間に与えられた
勲章のようなもの。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

聴こえない音②「周波数Xの神秘」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

葉山には「えるしー」という
素敵な場所がある。

そこで働くひとたちは
皆が健常者というわけではないが
お菓子工房として
丁寧に自分の持ち場を守りながら
生きがいを持って働いている。

ある人は生地をこねる。
ある人はハートの型に生地をはめる。
ある人は時間をはかる。
ある人は焼きあがったクッキーを
袋詰めする。

わたしは一度その場を訪れて
働いている方たちの様子を見学させて頂いたが
始まりから40分が過ぎるころには
自分の「気」が充実し、
エネルギーが身体中にみなぎるのを感じた。

彼らが目の前の「ひとつこと」に
集中するさまは
まさに一心不乱。
髪を乱すこともなく幸せな面持ちには
観る者の心まで幸せにしてしまう
不思議なちからが隠されている。

時折発せられる言葉や息遣いに
ひとりひとりの
真摯な思いが伝わって来て

終わったころには
「ありがとう」の言葉が
口をついて出た。

そして私は気が付いた。
彼らには一定の高い周波数があると。
おそらく人間が発するエネルギーには
音に変換されるような波動があるのでは?

この「聴こえない音」の周波数は
かなり高いものだ。
幸せな一心不乱を呼び起こす魂の奇跡。

そこにいつしか自分もラジオのように
周波数を合わせていたら
幸せな「ありがとう」の言葉が
口をついて出た、というわけ。

音楽を聴くことも同じ。
あなたが周波数を合わせること。
それがあなたを幸せへと導くはず。

今日も素敵な一日を。
横浜の自宅から
村中大祐

聴こえない音①「闇のなかへ」 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

闇という文字。
門の奥に音が見える。

これを聞いて思ったこと。
ああ、知ってる。
どこかで出会ったことのある感覚。

面白い言葉が降りて来た。
「聴こえない音」
そう、この世には聴こえない音があるのだ。

地球は自転している。
その自転の音が聴こえる人がいる。
それも聴こえない音。

闇のなかであなたは何かを見ようとするだろう。
でも諦めた時、耳にその身をゆだねようとするのではないか。

闇のしじまに耳を澄ます。
夜中の街に音はなく
そこには不思議な、本来なら聴こえないはずの音が聴こえてくる。
その音に周波数を合わせてみよう。
ラジオのように。
すると何か違う感覚に浸ることができるはずだ。

私はそれが音楽に耳を澄ましたとき
聴こえてくる、あるいは見えてくる世界と近いように思う。

マーラーは自然を愛した。
もちろんブラームスもベートーヴェンも
自然を愛した作曲家だ。

だがマーラーの音楽は
物理的に時を止めることができる、と思っている。
それは彼が時代の寵児だったからではないのか。
彼の時代、西洋に東洋が色濃く入り込んだ。
アラブや中国、そして日本の文化。
これが西洋音楽の歴史を塗り替えたように感じる。
マーラーの音楽はこの最たるものである。

音楽を聴くと、確かに時は止まる。
でも音楽の中では止まらない。
音楽はPerpetum mobile
「常に動いている」というのが
マーラー以前の音楽の姿だった。

だがマーラーの音には
動きよりも静けさに寄り添い佇み
沈殿していく静止の姿が見える。

闇のなかの聴こえない音が
マーラーの「夜の音」から聴こえてくる。

今日も素敵な時間を。
横浜の自宅から
村中大祐
追伸:マーラーのアダジェット、贈ります。