海の言葉:「本当の強さ」とは? – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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From:村中大祐

海の日というものは
一定していないそうだ。

7月の連休として存在するためか
日曜日に連動して「海の日」が
決められているように思う。

ちょうど4年前の海の日に
何をしていたかというと
横浜創造都市センターという
みなとみらい線の馬車道駅の上にある
元大正銀行跡の石造りのカフェで

Orchester AfiAの初リハーサルを
公開リハとして行っていた。

もうあれから4年が経つのかと思うと
時の流れは速いようで
結構4年の間に色々な経験をさせて頂いたという
感謝の気持ちの方が大きい。

今朝ふとそんな気持ちが心をよぎった。
そして…

自分が何のために音に向き合ったか。
その答えが突然、ポンと出てきた。

私の10代はある意味悩み多き10代だった。

中でも一番大きな悩みとは
男性としての「理想」が
当時の日本に見えなかったことだった。

父親を9歳で亡くした後
思春期に入り、
私は自分のメンターを探していた。

メンター、すなわち憧れの人。
だが日本にそう言う人は
見当たらない。

会えども会えども、魅力的な男性は
周囲にいなかった。

何を求めていたか?

自分に似た人だったように思う。
そんな人、いるわけないだろ!

仕方ない。自分の憧れは
自分のちからで探す方向を選んだ。

そこには音楽があった。
常に音楽が光となって導いてくれた。

私の疑問は今思うと
強さとはなにか?ということだった。

強さ。そこには様々な側面がある。

ちからを誇示すれば弱さの裏返し。
硬いものは竹のように柔軟でないので折れやすい。
柔らかいものや優しいものは、
見かけが強くないから頼りない。

どう言う人が「強いひと」なのか。
その答えは持ち越された。

そこには常に音楽があった。
音は私の欲しいものを全て知っていた。

大学生になると出会いがあった。
商社マンだったがスケールの大きいひとだった。
彼は後に自分の商社を立ち上げて
私のメンターとなってくれた。

「君はそのままでいいよ」

彼は大学生の私にその言葉を与えてくれた。
そうやってたった一言で
私を「思春期の呪縛」から解放してくれた。

そこにも音があった。
音は既に深みを増していた。

ある時他界した父の親友の建築家がこう語った。
「大ちゃん、強さとは
竹のようにしなうのが
本当の強さだと、僕は思うよ」

子供にはわからないような
形容だったかもしれない。
でもここには、一つの指針が隠されていた。

私はピアニストを目指して音のなかに
どんどんと入って行った。

だがある時気が付いてしまった。
指揮するまではわからなかったが
ウィーンでオペラを振るチャンスがあり
自分の天職はこれだ、指揮者だ、と直感した。

それは後にコンクールなどで役に立つ感覚だったが
自分の本当に求めているものが何なのか?
当時はわからないまま
指揮というものが一体
何を意味するものなのか
それを探るために武者修行を始めた。

殆どの指揮者に出会って話を聞いた。
彼らから学ぶことは
話すこと、そして練習を見ること。

そこから何を抽出するか。
それは私次第。

日本でデビューをしたとき
指揮者に求められているものが
私の求めているものとは
全く違うとわかった。

つまり彼らの言う指揮者とは
私の考える指揮者像とは違っていた。

だから日本デビューをして3年目に
大きな悩みを抱え込んでいた。

海外での仕事は順調だった。
グラインドボーン音楽祭にデビューし
イタリアのテアトロマッシモや
スイスの音楽祭のオープニングを指揮した。

だが悩みは頂点に達していた。
私は何のために指揮者になったのか。

日本で求められた指揮者像が
あまりにも私の感じた「天職」とはかけ離れているため
どうしてよいかわからなかった。

2003年の秋、10月にそう言った迷いのなかで
飛行機に乗っていた私は
機内で不思議な声を聴いた。

「オーケストラをつくれ」

そう確かに聴こえた。
だからノートに書き留めた。
ある種の興奮状態だった。

偶然その日は聖チェチーリアの祝祭日。
音楽の神の祝祭のお蔭と
勝手に確信した。

日本に翌年帰国した際
横浜の財界に企画書を持って回った。
すると市長の参与に話が行き
横浜開港150周年記念事業となった。

私は実はオペラのプロジェクトを
作る企画を持っていた。
オーケストラも作る計画だったが
あまりにも無理が多すぎると感じていた。

だが市のお役人の口から
「村中さん、オーケストラも一緒につくりましょう」
という言葉が出てきた。

これはまさに私にとっては天啓だった。
背筋がぞくっとした。

横浜の音、街の色、街の音を表現する。
そうして出来上がったオーケストラによって
私の問いは更に持ち越された。

出来上がったオーケストラで
彼らは私をちゃんと真っすぐに見つめて
私の考えに寄り添ってくれた。

でも時に私は自分の自信のなさに
押しつぶされてしまうこともあった。
それが何故なのか、自分でもわからなかった。

人とは多くのトラウマや記憶を抱えている。
その一つ一つを抽出して
自分と向き合うには時間がかかった。

私は新たに出来上がったオーケストラの前で
自分に与えられた課題が
他の人とは違うことも
理解するようになっていった。

ひょっとしたら
日本人の殆どの指揮者は
幼い頃から指揮者になりたかった人ばかり
なのではないだろうか。

だから弱さややさしさに
フォーカスすることは
あまりなかったのではないか。

指揮者とは強くなければならない。
そう思っている人が多いように思う。

だからオーケストラも一緒になって
強い音を求めているように思う。
私はそんな音がキライだ。

オーケストラという社会の縮図は
日本社会に限定して言うなら
「強さ」というものを
はき違えているように思う。

強さとは何か。
この答えを得るために
どうやら私は指揮者になったようだ。

音にはいろいろな味わいがある。

でも日本の集団は
別にオーケストラに限らず
「強く逞しい音」を
望んでいるように見える。

それが「正しい」からだ。
一番「わかりやすい」からだ。

でもこれは、実は「弱さの裏返し」だ。

日本人が大好きな
アムステルダムの音やウィーンの音は
別段強いとも思わない。
ロンドンの音だって優しい音の集合体だ。

なのになぜ?
日本人は集団になると強いものを求め
ひとりひとりが強くなるのか?

ひとりひとりが「みんな」になると
強い音を「みんなが」出そうとする。

そうなると美しい音にならない。

私はそれが嫌だったから
オーケストラを作って
自分の理想の音を求めてみた。

答えは聴いてもらえば分かると思う。

強さの本質は
やさしさであり、おもいやりであり
愛だから。

本当のつよさとは
あなたが「弱い」と思うところにある。

すべては陰陽でできている。
陰極まれば陽に転ずるはず。
それがInside Outの極意なのである。

2017年海の日。
Orchester AfiAの誕生日に寄す。

素敵な時間を。
横浜の自宅から
村中大祐

自然と音楽、語感と響き – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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自分が変わるために、これまでいろいろな場所に降り立ちました。

人が話す言葉よりも、意外に街や自然、建物から影響を感じ、それらが自分の中に沈殿して行くと、その街から去るのです。

しばらくすると、沈殿した部分が浮き上がり、話しかけて来ます。

それを体験として位置付けて来たように思います。

デカルトの研究者でオルガニストだった森有正さんが中公新書に書かれた本(タイトルは忘れました)を、18歳くらいの時に読んで、確か「経験」についての場所を当時は「えらくむずかしい内容だな」と思いましたが、実際には同じようなプロセスが、私の中にもあったように思います。

ローマではカラヴァッジォやコレッリが、ヴェネツィアにはヴィヴァルディやティエポロが、私の心には響いた訳ですが、英国に初めて招かれたとき、最初から自然の中、羊や牛の群れに囲まれて生活したため、英国の風景や空気感は、直ぐに音楽と結び付きました。

これはある意味オーストリアのウィーンでも感じた感覚と近いものがありましたが、ウィーンの街にはシューベルトやマーラー、ブルックナー、ベルクの音楽とオーバーラップし、英国はブリテンやエルガーより、メンデルスゾーン、シベリウス、そしてラフマニノフを近く感じました。

やがてロンドンで仕事を始めるようになって、街から与えられた印象はありますが、最初の自然からの印象が遥かに強いように思います。

英国で最初に指揮した作品がモーツァルトのドン・ジョヴァンニだったのですが、モーツァルトは私がいつも申し上げているように、音楽に自然が入り込む前の時代の代表。イタリア語の中にある語感とオーケストラ(当時はロンドン・フィル)の響きが不釣り合いに感じました。ドラマ性が響きに足りない。イギリス室内管弦楽団とはB・ブリテンのアニバーサリーをロンドンでやりましたが、ランボーの詩による「Les Illminations」を演ると、やはり血が関係するのでしょうか、ホントにフランス語感がしっくり来る訳です。ご存知でしょうけれど、英国はフランスとは血を血で洗うように戦さを繰り返した訳で、つまり混ざりあった歴史がある訳です。

先日久しぶりにイタリアの歌劇場でオペラの真似事を演りましたが、やはり椿姫の音と語感がしっくり来ますね。

やはり英国でホルストを指揮すると、彼らの音が魔術のように教会に響き渡りました。もちろんPrince of Walesの存在があることも大きな要因でしたが、コッツウォールズにほど近いMalmesburyという場所は、ローマの遺跡以外にも、スピリチュアリズムを感じる空気感がありました。ホルストが占星術に傾倒して、彼の地で交響曲を書いたと知った時、宇宙からのメッセージを受け取った気分になったのです。

ね、音楽って、こうやって感じることができれば、面白いでしょ?

小さな記憶への回帰 – Muranplanet – 指揮者村中大祐 Daisuke Muranaka Official Website

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子供の頃の記憶と繋がること。
それは人にとって人生を決定づけるほどの
重要なことなのかもしれません。

僕たちは音楽を演奏します。
でも何のためでしょうか?

エンタメ?安らぎを得るため?
色々な答えがあるでしょう。

僕たちは幼い頃の記憶を取り戻すために
自然と音楽」のシリーズを始めたのかもしれない。

幼い頃の仲間に出会って、そんな思いを強くしました。
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鎮守の森から記憶の森へ

ぼくが幼いころ
そこには木々が鬱蒼としげる森があった。

氏神様でもある八幡宮の御神体として

この森は四方に広がり
ぼくらはそこでカブトムシやクワガタを取り
野鳥を追いかけまわして遊んだ。

時には蜂の巣を攻略して

スズメバチに追い回されたり
ザリガニ釣りをしてその沼から
100尾以上の大漁となったこともある。

森はそんなひとの記憶と繋がっている
長い年月に亘り培われた記憶は
自然の奥底に沈殿し
世代を経て豊かに育ち
それがやがてあらたな森となってゆく。

森には世代を超えた人々の

日々の暮らしの記憶が納められ

その森に住むひとたちは

森のなかからかつての記憶を引き出してきたのだと思う。

そしてその記憶は親から子へと
代々歌い語り継がれてきた。
ぼくがローマのトゥスコルムで眺めた風景は
数千年前のエトルリア人がみていたものだ。

同じ風景をゲーテが「イタリア紀行」に書き記し
これをあのモーツァルトやメンデルスゾーンも見ていたに違いない。
音のなかに見えてくるそんな記憶の風景を
ぼくは伝えてみたかったんだ。

2013年7月 村中大祐

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一緒に音楽を楽しみながら
そんな幼い頃へと旅立ってみるのも
わるくはないかもしれません。

明後日はそんなお話になりそうです。
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