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From:村中大祐

最近日本の書店で出版物を見てたまに思うことだが
殆どがオリジナルのものでなく
アメリカの英語で書かれたものからの
焼き直しが多いのに気付く。

それが悪いわけじゃないけれど
英語ができる一握りの人が
自分が読んだり学んできた
アメリカの方法論を

さあ、これから日本の市場に落とし込む
となったときの判断は
わかりやすさ。
シンプルさ。

そして結果的には
情報の総体を示さずに
手短に
要点だけを
わかりやすく
教えてくれる本が売れる!
を実践しているように見える。

そんな本が日本の書店では
今所狭しと並んでいる。
それが別に良いとか悪いではなく

この傾向を追いかけていくと
皆が同じ方法で同じことを求め、
仮に自分がオーダー・メイドの方法論を
「自分のちからで」構築したい
と思っても、少ない情報量では
その実現が難しくなってしまう。

よく「情報操作がされている」
という言葉を耳にするが、
そう思うなら情報を集めればいい。

情報を集めるとき
私なら同じサブジェクト(対象)について
まず全ての本をチェックする。

その時に1冊でも英語で書かれた本があると
違う視点が得られていいかもしれない。

彼らの情報量や視点は我々日本人より
場合によっては
圧倒的に情報量が多い場合もあるからだ。

私の場合は
英語の本を日本語訳で読む場合も多いが
たいてい訳本というのは
日本語がまどろっこしくなって
どこを読んだらよいか
パッとつかめなくなるので、
私の場合日本語訳は速読で
無駄な日本語をすっ飛ばして読むことにしている。

でも翻訳がある場合ばかりではないので、
新しい分野やアイディアを必要とする場合には
英語でオリジナルの考えに触れることにしている。

私は指揮者だから作曲家についての本が多い。
今これを書いている後ろには書棚があって、
その中にはたとえば
マーラーについての本は何と50冊くらいある。
(自分でもびっくり!)
これまでマーラーの本はたくさん刊行されているが
でもマーラーについて書かれた本のなかで
自分の一番役立ったのは
イタリア語で書かれたマーラー本。

意外に思われるかもしれないが
イタリア人の音楽史家、研究家のレベルは世界的で
マーラーについての書物は一番総合的な視点から
書かれているように思う。

ドイツ語のものはどちらかと言えば、
マーラー本人の手紙や家族・友人の手紙などが貴重で
これは翻訳で読むより、本人の言葉で読むと
感慨深いものがある。
ドイツ語で書かれた評伝のようなものは
ごく一般的なレベルだから、英語の評伝を読めば良い。

そうやって情報が集まってくると
自分なりのマーラー像が見えてくる。
つまり情報量には絶対的に価値があるということ。

一つの言語に頼ると、見方が偏りやすくなる。
そうなったら、国際的なオリジナリティや競争力、
あるいは自分独自のものの観方は
残念ながら見いだせないかもしれない。

私の場合は本以外にもいろいろな情報の取り方があって
例えば同じウィキペディアでも、
一つの主題について
最低4か国語で読むことになる。

でも実を言うと、3つも4つも言語ができる必要はない。
大抵の場合、英語とイタリア語が同じだったりするわけ。
ドイツ語より日本語が詳しかったりする。

だから何はともあれ、情報量を増やせるシステムを
自分なりに持てれば
そこからオーダー・メイドの
自分に合った答えが導きだせるというわけだ。

今日も素敵な一日を!

ヨコハマの自宅より
村中大祐

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