画像の説明
From:村中大祐

私が経験した中でも
特に心に残った公演というのは
どちらかと言えば室内楽が多い。

アシュケナージとパールマンがやった
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタの夕べ。
リヒテルやホロヴィッツ、ホルショフスキーに
アラウ、ロストロポーヴィチ、そして
フィッシャーディースカウのリサイタル。

これらは素晴らしい音楽で
その夜はたいてい興奮して眠れなかった。

でもオーケストラについては
当時たくさん聴いてはみたものの
そこまで感激しなかった。

カラヤン指揮ベルリン・フィルに行くと
まだ20代半ばのアンネ・ゾフィー・ムッターの弾く
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に
むしろ興味を持った。
その音のつややかさの方が
むしろ魅力的だった。
若い頃のムッターの音は本当に美しかった。

クライバーの「ボエーム」はラジオで聴いた方が
より鮮明に記憶に残った。

アッバードの「ヴォツェック」は
映像で観た方が強烈な印象だった。

テンシュテット指揮ロンドン・フィルの
ワーグナーと「エロイカ」にも接してみたが、

特に今は得意な「英雄」でも
当時の私には、ちと難しすぎた。

どちらかと言うと
オーケストラやオペラといった
大がかりなものは
やはり楽しむためにも
その人なりのタイミングが
どうしても重要な気がする。

私の場合は
NHKのラジオで「海外の演奏」として
聴いていたオーケストラのイメージを
ライブで追体験しているような感じで、

その場で実際に楽しめたか?と訊かれれば
感覚的な入り口は、当時はまだ
見つからなかったのではないか、
と言う気がする。

つまりピアノやチェロ、声楽などは
ライブに感激できたが
オーケストラが入ると
これはもうラジオの方が
断然素晴らしく聴こえた。

記憶を辿っていくと
最初に好きになったのは
ドヴォルザークの交響曲第8番「イギリス」を
ジョージ・セル指揮クリーブランド交響楽団で
聴いたときだ。

自然の雰囲気に魅了された。
最初でいきなり鳥の声が聴こえてきて
催眠術にかかったように
交響曲全曲が短く感じられた。

ちなみに最初に録音した
オヤジのテープレコーダーで録った
ベートーヴェンの第九は

初録音、生中継というタイミングで
充分にイヴェント性の高いものだったが
演奏については
「荘厳な感じ」以外のイメージは
なかったように思う。

私が最初に牧神の午後の前奏曲を聴いたのは
小澤征爾さんがウィーン・フィルを
指揮した定期演奏会で
確か当時ショパンコンクールで
物議を醸したルーマニア人ピアニストの
イーヴォ・ポゴレリッチが
ショパンのピアノ協奏曲第2番を弾いた時だ。

私はピアニスト志望だったから
イーヴォの弾くショパンの2番目当てだったが
その前に演奏されたドビュッシーを聴いて
「身体が浮き上がる浮遊」を
音楽で初めて体験した。
これもラジオの成せる業だ。

そしてもうひとつ
重要な公演は
日本でカール・ベーム指揮による
ウィーン・フィルの最後の演奏がなされ
ベートーヴェンの2番と7番を演奏したときのことだ。

この時わたしは日本の聴衆の
「異様」とも言える雰囲気を
ラジオから感じ取った。

その異様さが
その後の私の音楽体験を
左右するものになろうとは
10代半ばの私には知る由もなかったが

この異様さとは
「何かが違う!」という感覚であり
ネガティブな意味ではないことを
付け加えておく。

音楽が巻き起こした現象自体は
「幸せな感覚」であり
その幸福感を求めるあまり

その場に居合わせた聴衆は
「異様」な感じのエネルギーを
集団的に醸し出していたはずである。

それは大きなエネルギーの塊となって
ラジオの向こう側にまで
ひしひしと届いてきた。

私はエアチェックで
この感覚を楽しみ
この感覚を持った演奏の「場」を
探し求めるようになったのである。

私のオタクへの旅は
何よりもまず
この「異様」を求めて
スタートしたのだった。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

追伸:
今書き終わってから思いだしたが
唯一オーケストラで
「しびれた」公演があった。
ロリン・マゼールが指揮した
ミラノ・スカラ座管弦楽団による
プッチーニの「マノン・レスコー」の
間奏曲だった。
これは本当に弦楽器の音の美しさに
感動して夢見心地になった覚えがある。
大学生の頃だろうか。
後にこの曲を自分が指揮するとは
夢にも思わなかった。

ニュースレターNo.2では
付録CDで「マノン・レスコー」が
聴けます。
年間購読は10日まで素晴らしい特典つきです。
興味があれば
詳細・お申込みはこちら↓から。
https://spike.cc/shop/user_956153619/products/Swfse5oJ

About the Author

コメントを残す