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From:村中大祐

わたしは10代から本格的にピアノを弾き始めたが
そのときの音楽についての捉え方は
今でもきっと変わらないと思っている。

10代のわたしは
音楽は「精神の流れだ」と
本気で信じていた。

それは間違っていない。
いや、それどころか
音楽って色々なジャンルがあって

たとえばロックンロールだって
立派な精神の流れだ。

ミック・ジャガーが大好きだったが
彼がストーンズではなく
80年代にソロアルバムを出したとき

その格好良さに痺れたもんだ。
ロッド・スチュアートだって。
おっさんがイカスパンツを履いて
舞台に登場すると
カッコイイわけだ。

それは何が素晴らしいって
スピリット、つまり精神なのだ。

だからベートーヴェンだって
革命的なロック精神を持って
時代を動かしただけでなく

その語り口のなかで
彼のまさに「精神」が流れているのを
時間の経過とともに
わたしたちが聴くということになる。

日本に帰るといつも感じるのは
相撲でも野球でもサッカーでも
あるいは将棋やフィギア・スケートでも同じだが
楽しみ方は色々といいながら
やはりコメンテーターがいて
知識を振りかざして
その博識ぶりを「権威付け」の証明に使う。

クラシック音楽でも同じ現象があって
まあ、黒田恭一さんとかは違うのだけれど
大抵は音楽評論家と言う人達が
ああだ、こうだとお話になられるとき、
知識がまず全面に押し出される。

そうすると面白い現象がみられるのだ。

Aさんも、Bさんも、Cさんも
皆違うはずなのに
同じような知識を共有していて
違うことを言うひとがいなくなる。

ベートーヴェンの英雄交響楽なら
ナポレオンの話について
ベートーヴェンが一度書いた献呈の文字を
楽譜から削除した話とか。

要は皆が大抵、同じ話をして
「これを知っていれば、あなたは英雄交響楽が
わかります」的な説明をする。

それを聞いて、相手も納得するらしいのだ。

つまり「型」を決める人間がいて
その型を探す聴衆が大半だということ。
安心したいわけだ。

「これが通常の解説です。」
と言われた解説を聞いて
分かった気になれるというのは
ある意味素晴らしい。

でも私にその解説を求める人が居るのは
苦痛以外の何物でもない。
だから私は専門家というのが
大嫌いなのだ。

私なら私にしか話せないことを
あなたに伝える。
それが私の存在価値なのだ。

だから人と同じ話をしても
それを私が「どう思う」か、
私にとって「つまらない」や「面白い」を
語ろうとする。

だから音楽を聴くあなたにも
あなたにとって「どう感じられるか」や
「つまらない」「面白い」を
語ってもらいたい。

自分なりの感覚で「感じて」もらいたい。

型を決めて満足するのは
もうやめにして
自分を自由にしてやってほしい。

そのために音楽がある。
だからロックでもジャズでも
なんでも一緒だ。

音楽は自分が感じたところを
表現する場所。

演る側が感じたものと
「同じじゃなく」感じてほしい。
そのために音楽ってあるのだから。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

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