画像の説明




From:村中大祐

横浜でオーケストラを作るときに
何を大事に考えたか?

それは「点」ではなく「線」を表現すること。

当時オーケストラのオーディションに来てくれた
国内外などで研鑽を積んだアーティストたち。
そのレベルは驚くほど高かった。

中にはコンクール優勝者なんて方もいらしたが
皆が若いアーティストだった。

横浜という進取の気性がある「ように見える」街で
行うプロジェクトだから
「横浜から世界へ」という
例によって得意なタイトルを考えていた。

それを横浜市の記者発表でお話すると
この標語は独り歩きし始めた。
それもまた可成り。

彼らとMusic makingをするに当たり
市の関係者の方と街を散策した。

練習場所を探すためだ。
本番はみなとみらいホール。
でも私は「街の音」をクリエイトしたかった。

そこで馬車道や港の見える丘、
あるいはみなとみらい地区をくまなく探した結果
現在馬車道上にある旧BankARTバンカート,
現在の創造都市センターが
ヨーロッパ的な音の基礎を作るのに最適だと思った。

この横浜OMPオーケストラ(オペラ未来プロジェクト)とは
モーツァルトの生誕250周年2006年1月26日には
ストラヴィンスキーとモーツァルトのプログラムで
公演を横浜みなとみらいホールで行い
まさに横浜の音があふれ出る結果となったが

私が仕組んだ創造都市センターでの
リハーサルを敢行した際には
音楽家たちはかなり戸惑ったようだ。

なぜならこの場は教会のように
音がぐるぐる回り、拡散するからだ。

これでは「点」で自分の音を
他人と合わせることができないのだ。

実は私はそのためにわざわざ
この教会のような
天井の高い石造りの建物を
リハーサルの場所として選んだ。

それによって音楽家の耳が
必然的に「点」ではなく
「線」に移行するよう仕向けたのだった。

そして実はもう一つ、仕掛けがあった。
「オペラ」である。

歌手の息を聴くこと。
言葉の流れを音楽の中に取り込むこと。

このふたつをオーケストラのなかに
叩き込みたかったのだ。

だからスタッフが驚くほど
沢山の練習をオーケストラに要求した。

通常なら2日や3日でリハーサルをこなしてしまう
オーケストラのメンバーに
2週間ほどの時間を割いてもらい
私がすべてのパートを歌いながら
オペラの伴奏部分を弾く作業に徹してもらった。

そうするとどうなったか。

点だったはずの意識は線に向かい
やがてフレーズのカーブ感が生まれるようになった。

でもそれはもともと彼らが持っていた感覚だった。

意外だろうが、これは事実だ。
みな、実はできるのだ。

だが「個人」としてはできても
「集団」になれば
いわゆる集団的無意識によって仕切られてしまう。

個人の本来表現したいWill(ウィル)は
見事にそこでかき消されてしまう。
日本人集団の持つ全体主義的嗜好(あえて書くよ)である。

それに歯向かえば死あるのみ。
本気でそう思っているらしい。

だが2017年現在
どうか周囲を見て欲しい。

少なくとも私が知る限り
多くの集団がこのIdentity Crisis、
存在意義の危機を乗り越えている。

この危機を乗り越えるには
何が必要かと言えば
それはリーダーの「戦略」だ。

よくイノヴェーションと言うが
そんな難しい用語を使いだせば
日本人は本来の言葉の意味も考えず
「周りの人たちと共有できる」勝手な意味付けを
イノヴェーションという言葉に与えてしまう。

そうなるとイノヴェーションの本質は
どこかへ消え去るのみだ。

日本人は「周囲がどうするか」を重視する。
プライオリティは集団への帰属意識であり
自分の感覚や感情は二の次なわけだ。

それでは戦略にならないではないか。
それではイノヴェーションなど起こるわけもない。

イノヴェーションの起爆剤とは
自分の感性・感覚・感情である。
他人や周囲のものではない。

その本質を語らずして、
日本人にイノヴェーションを語ったところで
起爆剤は作動しないのである。

では横浜のイノヴェーションでは
いったい何か起きただろうか?




少なくともまだ学生だった人達は
このオーケストラを通じて
日本全国のプロフェッショナル・オーケストラの
トッププレーヤーとなった。

それは彼らが私の世間に言わせれば
「突拍子もない」変な考えに
”とりあえず”協力したからである。

全体が一人の考えに”とりあえず”
信じて寄り添ってみる。

そうすると思わぬ世界が見られるのである。

私は日本に戻った際、
多くのオーケストラの奏者たちから
こう言われた。

「村中は芸術家を気取ってやがる」

わたしは気取っているのではない。
私は誰が何と言おうが
列記としたアーティストである。
これは私の信念である。

黙っていたのでは何も変わらない。

リーダーとは交渉に長けていなければならないのだが
交渉とは誰とするのか?と言えば
社会に厳然として存在する
アンシャンレジーム、つまり既存の価値観と
交渉するわけである。

既存の価値観は打ち破るものではなく
交渉の末に新たな価値観をゲットするのが
王道と言うものだ。

継承し創造する。
そこに全てがある。

それには「戦略」が必要である。
しかもこの「戦略」とは
実は「敵」に対する戦略ではない。

敵も味方もないのである。
あるのは自分の所属する社会だけだ。
そこから逃げても仕方がない。

そのまさに自分の所属する社会を
いかに欺きながら、いかに懐柔しながら
いかに全体の理・利に適ったように
戦略的に対峙するか。
それが本来のリーダーシップと言うものだ。

リーダーは常に集団と対峙するが
その集団は自分の鏡である。
鏡に映る自分の分身を
正しい方向に向かわせるためには
あなたの中に理念と理想が明確になくて
どこに向かえというのか。

点と線がゆらぐ瞬間がある。
いわゆる「ゆらぎ」の美学。

それをどう使い分けて行くか。
それもひとつの戦略なのである。

素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐




About the Author

コメントを残す