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From:村中大祐

私は割合にイタリアのシチリア島でのご縁が多い。
第二の故郷と言えば
南イタリアなのかもしれない。

ローマのスペイン広場の前の通りに
面白いレストランがある。

イタリアにはごく稀に存在する
日替わりメニューが2種か3種しか置いていない場所。

そこに毎日ジャーナリストやアーティストが
集うわけだ。ここで随分たくさんの出会いに恵まれた。

私は当時、と言っても20年ほど前のことだが
そこであるジャーナリストと知り合いになった。
ひょんなことから隣同士になって
彼は私にこう質問した。

Sei tu un figlio di Sol Levante?
「お前は日の出る国の子孫か?」

魏志倭人伝にでも出てきそうな会話だが
「そうだ」と返すと
喜んで握手を求められた。

この小さな男イニャツィオIgnazioが
有名な伯爵家の出自で
ジャーナリズムの一世を風靡した人間だとは
その時はまだ知る由もなかった。

この男に出会ってしばらくすると
私は文化庁の研修先だったローマ歌劇場から
新しく赴任した指揮者のジュゼッペ・シノポリに
追い出されて、パレルモのマッシモ劇場に向かい
すぐに電撃的デビューをしたのだが

どう言う訳かこのイニャツィオが楽屋に突然現れた。
「ダイ、お前は次世代のカラヤンだ!」

そう言った彼は笑いながら私を抱きしめて
家族を紹介し始めた。

よく聞いてみると
なんでも彼の祖父が戦時中
ムッソリーニの迫害からユダヤ人たちを
シチリアの自分の領土で守り抜いたため
イスラエルから特別な勲章が贈られているそうだ。
まるで杉原千畝さんのイタリア版。

私が当夜パレルモで突然デビューしたのも
シェーンベルクの曾孫のユダヤ人指揮者の代役であり
またその指揮者自身がユダヤ教のラビ(司祭)であることも相俟って
不思議なご縁を感じていた。

因みにある日
ローマにある邸宅に招かれると
コリエレ・デッラ・セーラCorriere della Seraという
中道右派の新聞のオーナーに出会う機会があった。

連れて行ってくれたのはレズビアンのユダヤ人医師で
オーナーもユダヤ系の女性だったことを考えると
恐るべし、ユダヤ人のコネクションである。

ローマのゲットー(ユダヤ人街)に行くと分かるが
そこはアーティストなどが集う不思議な空間だ。
ちょうどフォーロ・ロマーノから歩いて数分、
魚介類が美味しいトラステヴェレ地区の近辺にある区域だが
ここにはユダヤ教の経典に巻き付ける装飾の博物館もあり
ヨーロッパで一番大きなゲットーだそうだ。
ウィーンにもユーデン・ガッセJuden gasse(ユダヤ人街)があって
そこも文化的に非常にレベルの高い
アリストクラートが多かったように思うから
興味のある方は各国のユダヤ人街に
是非行かれることをお勧めする。

因みにローマのゲットー内で非常に美味しいレストランは
I Pompieri(消防士)というレストランだ。
ちょっとお高いが、日本人の感覚で言うなら
お得なレストラン。
きっと本場イタリアンを堪能できると思う。

このイニャツィオとはパレルモやローマで
頻繁に食事をするようになるが
ちょうど私が日本の新国立劇場でオペラデビューをする際、
サウジアラビア国王の前で
御前演奏をする話を持ってきてくれた。
私は東京のオペラを選んだため
丁重にお断りしたが
イニャツィオの言うことを聞いていたら
今頃は大金持ちだろうと思う。

ユダヤ人の人脈に強いイニャツィオがアラブの国王の話を持ってくる。
いかにもシチリア人らしいところだ。
と言うのもシチリアは面白い場所で
ノルマン人つまりヴァイキングや
アラブに統治された時代があり
まさに多様多種な文化が混淆する場所。

そして古くはギリシアの一部であり
ギリシア神殿が完全な形で残るのは
現在のギリシアではなくシチリアなのだ。

そう考えると面白いと思うのは
シチリア人が世界を席捲していると言う事実だ。

シチリア人には2種類のパターンが見られる。
1. おらが村から一歩たりとも外には出たがらない純潔シチリアーノ。
2. シチリアではなく世界中で生きるタイプ。

この2種類の差が非常に激しい。
ミラノの財界を牛耳っていた人間もシチリア人が多く
悪名高いニューヨークのボスたちもシチリア関連だろう。
つまり彼らのネットワークは、世界中にあるということだ。
その理由のひとつが、多国籍の文化が島のなかに入り交じったために
社会のなかに一種のエネルギーの爆発が起こったのだと思う。
確かにシチリア人は特殊な民族で、北と南、西と東を縦横無尽に駆け巡るような
知的財産を保有している。

アラブやギリシアのことを西洋人はオリエントと呼ぶ。
そのオリエントを自分たちの血のなかに抱え込んでいるのだ。

ローマのテルミニ駅にはバカでかい本屋があるが
そこで一番分厚い本を頼めば、必ず出てくるのは
Fosco Marainiフォスコ・マライーニの
「Ore Giapponese日本の時」であろう。

フォスコの娘のダーチャも作家だが
フォスコの日本滞在記はイタリア人を日本に近づけ
ある意味日本の伝道師だったとなった。

彼もまたシチリア人である。最後はフィレンツェで永眠したが
フォスコの足跡は日本でももっと評価されるべきだと思う。

彼がなぜ日本に興味を持ったか。
その一番大きな要素は、私の独断と偏見によれば
いずれも【島国】であるという事実だ。

今日も素敵な一日を。
横浜の自宅から
村中大祐

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